第2369日目 〈ヨハネの黙示録第22章:〈新しいエルサレム〉2/2&〈キリストの再臨〉with終わりの言葉、感謝の言葉、いつものエッセイ。〉 [ヨハネの黙示録]

 ヨハネの黙示録第22章です。

 黙22:1-5〈新しいエルサレム〉2/2
 わたしは視た、神と小羊の玉座から水晶のように輝く命の水の川が流れ出るのを。天使がわたしにそれを視させたのである。
 その川は都の大通りの真ん中を流れ、両岸に命の木が植えられていた。命の木は年に12回、実を結ぶ。毎月、実がみのる。命の木の葉は諸国民の病を治す。
 「もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。」(黙22:3-4)
 ──いまや夜も昼もなく、月も太陽もない。灯し火も不要である。神なる主がわれら僕を照らし、世々限りなく統治するからだ。

 黙22:6-21〈キリストの再臨〉
 天使がいった、──
 「これらの言葉は、信頼でき、また真実である。預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、御自分の僕たちに示されたのである。見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。」(黙22:6-7)
 これらを視て、これらを聞いたのは、わたしヨハネである。わたしはこれらのことを示した天使にひれ伏そうとした。が、天使はそれを留めた。自分もあなた方同様、仕える者なのだから、とて。
 天使がいった、──
 この書物の預言の言葉を秘密にしていてはならない。時は迫っているからだ。不正を行う者、汚れたる者は、更に不正を重ね、また汚れよ。正しい者は更に正しいことを行い、聖なる者はなお聖なる者となるよう努めよ。
 「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。」(黙22:12)──わたしはアルファでありオメガである、最初の者にして最後の者である、初めであり終わりである。
 おお、命の木に対する権利を与えられ、門をくぐって都へ入ることができるよう自分の衣を洗い、清める者は幸いである。かれらのように出来ない衆は都の外にいるしかない。
 わたしイエスは天使を派遣し、諸教会のために以上の諸々のことをあなたに証しした。わたしはイエス、ダビデのひこばえにしてその一族の者、そうして明けの明星である。
──天使、否、イエスはわたしにそういった。
 「この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。」(黙22:18-19)
 すべてを証しする方がいう、わたしはすぐに来る、と。アーメン、どうぞすぐに来てください、主イエスよ。
 「主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。」(黙22:21)

 使徒ヨハネに幻視させ、また語りかけていたのは、そうか、イエスであったのか。どこからイエスの語りかけであったのか、定かでないけれど、個人的にはそれゆえにすべてが符合、すべてに納得。
 〈キリストの再臨〉まで読んだことで確信できたのは、「ヨハネの黙示録」が実際はこれ以上は恃むべくもない「希望」の書物である、ということでした。ホロコーストは世界の新生──永遠の神の国の訪れと小羊が照らす世界が出現するための通過儀礼なのでした(勿論、現実にそれを行う者あらば困った事態になりますが)。
 そんな視点で改めて聖書を読み返すと、旧約・新約の別なく、聖書は<一時的な希望>と<窮極的な希望>、双方を物語ってきたことに気附かされます。一時的な希望とは状況の変化を望むことをいいます。そうして窮極的な希望とは、本章で感動的に予告された〈キリストの再臨〉、就中黙22:20「以上すべてを証しする方が、言われる。『然り、わたしはすぐに来る。』アーメン、主イエスよ、来てください」を指すことになります。

 本日を以て「ヨハネの黙示録」、新約聖書、聖書全巻の読書を終わります。
 読者諸兄よ、今日までの閲読、愛顧、支持に感謝致します。ありがとうございました。
 あなた方に愛と平安あれ。微笑みあれ。



 昨日、宮部みゆきの『あやし』を読んでいる、と書きながら、未読の山が消化されたら改めてこの人の小説を10数冊ばかり読み耽ってみよう、と考えていました。自分の文章に影響されちゃった? ああ、多少なりともね。
 本稿はこの1週間、すっかりご無沙汰になってしまった、先週までは頻繁に通っていた市内某所のスターバックスに約5時間ばかり居坐って(申し訳ない。この間、コーヒー4杯とシフォンケーキ、ドーナツを消化……)モレスキンで書き、MacBookAirで清書しておりますが、これの予約投稿が済んだらブックオフ2軒を回って、気になった宮部みゆきの文庫を買いこんでこようと思います。
 中居正広が紹介したことで今更ながら歌野晶午や東野圭吾も読みたいしね。嗚呼、なんてこったい、どんどんスティーヴン・キングからは遠離るではないか……!?
 ──なんだか聖書読了の日にそぐわない、いつも通りのエッセイですな。◆



 追伸
 友らよ、グラウンドゼロに散った友垣よ。
 15年目のこの日に読み終えた。それをあなたに報告しよう。

 妻よ、妻となるはずだった人よ。
 ようやくこの日を迎えられた。わがポラリスにこれをささげよう。□

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