第2502日目 〈『ザ・ライジング』第4章 22/46〉 [小説 ザ・ライジング]

 これ……夜の女王のアリアじゃなかったっけ。アウディから降りてきた池本を視界の端に認める一方で、耳はすばやくモーツァルトに反応していた。クラシックと縁のない生活を送る白井が、高校時代に手痛く振られたのを契機に聴くようになったのが、大バッハとモーツァルト。この二人の作品以外は、クラシックなんて聴いたこともないし、これからも多分そうだろう。
 小説を無性に書きたくなった大学時代、材料集めも兼ねて大学図書館をうろうろしていたら、音楽資料庫に迷いこみ、モーツァルトのレコード群と出喰わした。その山を見ているうちに、また聴いてみようかな、と思い始めた矢先、目の前に十数組のオペラ《魔笛》が現れた。適当に選び出したカラヤンの全曲盤LPを借りて、その日はアパートに帰った。確かプレーヤーにかけたのは、翌々日だったような気がする。対訳や解説をめくりながらずっと聴いていて……終わったときに白井は、ほうという気持ちを深く心に刻んで、感想の手紙を友人に認めた。
 これってすごいオペラじゃないか!
 とはいえ、結局彼はこのオペラを小説に仕立てあげることを諦めた。音楽と言葉が密接に結びつき、フリーメイスンの思想が複雑に絡み合った《魔笛》を散文に移し替えるのは、如何に老練の作家でも無理なように思えてきたからだ。友人から借りたフリーメイスンにまつわる本を繙いてみて、その思いはより確信へ近くなった。一週間の返却期限を延長し、大学図書館へレコードを戻すころには、すっかり《魔笛》の小説化は諦めた。ただ、作品自体にはとても忘れがたい魅力を感じていたので、カセットへダビングして(まだMDプレーヤーなんて出回っていないころのことだった)返却した。あのテープ、部屋を探せばまだあるよな、たぶん。
 ……でも、池本先生と夜の女王のアリアの組み合わせは、なんとまあ、お似合いだろうか。まるでダース・ヴェーダーと〈帝国のマーチ〉みたいだ(希美がこの行進曲をさして、“史上最強の行進曲”といったことがあったのを、ふと彼は思いだした)。
 それにしてもこの声、アリアを歌うソプラノは、池本先生の声とよく似ているな。どこかぬめりのある、水っぽい声。それでいて端々から濃縮された色気を感じさせる。
 そうと知られぬように、白井は、アウディから女王然として降り立った池本を盗み見た。黒革のマイクロ・ミニのスカートからすらりと伸びた、無駄な肉の付いていない長い脚が見えた。左の、引き締まった足首には金色の二重鎖のアンクレット。そのまま、まるで操られでもするように上半身へと視線を動かす。厚手のショートコートを着こんでいてもはっきりとわかる乳房のふくらみを通り過ぎ、互いの視線がぶつかった。
 白井は足がすくむのを感じた。がくがくと膝が小刻みに震えてくる。抑えようとしても抑えられない。崩れ落ちてしまわないのがふしぎなくらいだった。
 狂ってるよ、この人!
 心の中で、もう一人の自分の声が叫んだ。なにがどうと説明するのは難しい。ただ物事には、なんの説明もなく幾重もの衣の下にひた隠された真実を知らせる、直感としかいいようのない、得体の知れない〈力〉が働くことがあるものだ。この場合の白井とてそれは例外ではなかった。
 池本玲子の瞳には邪悪な意思が宿っていた。殺意と怨念と嫉妬が、離れがたいまでに結びついて、彼女の心を操り支配している。それにいい知れぬ恐怖を感じて白井はすくみあがった。そのまま回れ右をして逃げ出そうか、とも思った。しかし、そんなことをしても、池本はこれっぽっちも動じないだろう。道成寺縁起に出てくる清姫のように、いつまでも、どこまでも、執念深く追いつめて来るに違いない。そう、どちらかがこの世から消えるまで。
 ゆっくりとした歩き方で、池本が車の正面へまわった。口許をほころばせると(白井にはいびつにひずんだようにしか見えなかったが)、「また会ったわね」といった。□

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