第2508日目 〈『ザ・ライジング』第4章 28/46〉 [小説 ザ・ライジング]

 「ののちゃん、本当に一緒に帰らなくて平気なの?」木之下藤葉が表情を硬くしたままで訊いた。これが何度目の確認だったか、藤葉にもわかっていない。誰にもいわないでね、と希美は駅に向かうバスの中でいった。彩織や美緒にも? 間を置かずに頷いた希美の姿に藤葉は気圧され、そのまま黙りこくってしまった。当面は二人だけの秘密。
 ……教室でいくら待っても戻ってこない希美を心配して、吹奏楽部の部室を覗きに行った。扉を開けた瞬間、目に飛びこんできたもの――床へ転がった希美の、剥き出しになった太腿を見たときは、さすがに心臓が停まりそうになった。最近になって、父親の影響で読み耽っている数多の推理小説だと、床に転がっている人間とは、即ち殺されてしまった人間だから。
 ののちゃん! そう叫びながら藤葉は希美の傍に駆け寄った。一見して死んでいないことはわかる。小刻みに肩が震え、嗚咽をあげていた。髪はぐしゃぐしゃに乱れて艶を失っていた。あたりの床には、引きちぎられたかなにかして飛び散ったブラウスのボタンが、あちらこちらに散見された。ショーツも丸まったままで放られている。早くも固まり始めたどす黒い血のかたまりが、絨毯に幾何学模様を作っていた。
 誰よ、こんなことしたの!? 藤葉は友の名を呼び、肩を揺さぶった。ここで行われた陵辱劇を想像すると、寒気と吐き気を覚え、思わず涙があふれてきた。――助けてあげられなかった。もっと早くここに来ていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。ののちゃん、痛かったよね、辛かったよね、苦しかったよね……ごめん、私が待たせちゃったせいだ。
 涙の粒が筋となって藤葉の両眼からこぼれ、希美の頬へ落ちた。しゃくりあげる泣き声はやみ、瞳がゆっくりと動いた。初めのうちはうつろで定まらなかった視線も、ようやく焦点を結んだらしい。藤葉の姿を認めると目が大きく見開かれた。ふーちゃん……? 希美は顔を皺くちゃにして、大きな泣き声をあげながら、藤葉の胸に飛びこんだ。
 誰がやったの、と訊いてみても、希美は首を横に振るばかりだった。なにも答えようとはしない。――上野先生? わずかの間の後で再び、希美の首が横に振られた。だが、もう答えたようなものだった。
 藤葉は立ちあがって部室を横切って音楽準備室の中をくまなく探したけれど、どこにも上野の姿はなかった。念のため、鍵が開きっぱなしになっている音楽室を見てみたが、やはりここにも姿はない。隠れている様子もなく、人のいる気配もなかった。とはいえ、準備室には確かに淫靡な匂いが漂っている。まだ経験のない藤葉ではあったが、それがいったいなにを暗示しているのかぐらいは、さすがに見当がつく。もう学校にはいないのかもしれない。でもね、上野先生。私は絶対に先生を許さない。ううん、私だけじゃない。美緒や彩織、それに、白井さんだって。だけど、まずはののちゃんだ。
 希美のところへ戻って声をかけながら立たせると、ショーツをはかせて制服の乱れを直してやった。幸い、ブラウスはボタンが飛び散っているだけで、破られたりはしていなかった。藤葉は散らばったボタンを集めてから、ぼんやりと立ったままでいる希美を促して、部室を出て教室へ戻った。途中、誰かに見られたりしたらどうしよう、とあたりを見渡しながら(反対側の階段も注視しながら)ではあったが、それも杞憂に終わり、教室へ着いたときに藤葉は安堵の溜め息をついた。教室へ着くと藤葉は希美にブラウスを脱がせてコートを着させ、いつも持ち歩いている裁縫セットを鞄から出すと、馴れた手つきでボタンをかがっていった。……□

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