第2540日目 〈又吉直樹『火花』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 又吉直樹『火花』はふしぎな小説である。初出誌『文藝春秋』で読み、単行本で読み、今回また文庫で読んだ。なのに感想を求められるとひとしきり小首を傾げて言葉を選ぶ振りをして、挙げ句に口から出る言葉は「うん、おもしろかったよ」だけで、後が続かない。
 わたくしは作家・又吉直樹を、まるで異類のように見る。
 これまで芸人が書いた小説は幾つもあって、概ねマスコミの話題になったものだが、果たしてどれだけの作品が風化に耐えて生き残るのだろう。時代の徒花というより他ないそれら──芸人が書いたてふ話題先行で宣伝された小説の多くが、最大瞬間風速こそ記録するもののさっさと熱帯低気圧になって消滅してしまって記憶に残る程の爪痕も残さなかった、小規模な台風でしかない。
 一方で又吉直樹は<芥川賞受賞>という事実が物語るように、行く末の見定められぬ才能ながらすくなくとも現時点では「本物」と太鼓判を押すことができる、およそ唯一というてよい芸人作家である。多忙のなかでいったいどれだけの努力と研鑽を重ねてきたのか。努力する天才──口にするのは生易しいけれど行動して結実させる難しさを知る者として、わたくしは又吉直樹をあたかも別世界から人の形をして現れた異類を見るような思いをこめた目で眺めるのである。
 そんな人物の書いた小説の感想を求められて、「うん、おもしろかったよ」という一言しか絞り出せないのはなんとも情けない話だ。感想を認めようとしてこれまでに何度も『火花』を読み返した。そうしてその度に筆を投げて、別に書かなくってもいいや、と他の人が書いた小説に手を伸ばす。誰彼に吊しあげられるわけでもなし、一家が路頭に迷う羽目に陥るわけでもなし……。今回もその目的は果たせそうにない。
 が、読む度に心へ物淋しさがこみあげてきて、涙腺をそっと刺激させられたことだけは記しておかねばなるまい。どうしてだろう。おそらく作者同様芸人の世界に身を置く、未だ世間の目を向けられずにもがく主人公たちの泥臭さやかっこ悪さが、あとほんのちょっとで手が届いたはずなプロ作家の世界に背を向けた自分の後ろめたさと後悔と口惜しさを思い出せるからかもしれない。ひたむきに前に進んで自分たちが望む世界へ手を伸ばし続ける主人公たちが、夢を実現させる手前で諦めたわたくしには厭味なぐらい輝いて見えたからかもしれない。辿り着くことのできなかった世界を目指すかれらを刹那恨めしく思い、折節羨ましく思い、久遠に尊敬する。
 「うん、おもしろかったよ」その言葉の裏にはわれながら底知れぬ切ない気持ちが生々しく息づいている。いちど気附いてしまった気持ちが鎮まるには、あとどれだけの時間が必要なのだろう。◆

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