第2575日目 〈綾辻行人『人形館の殺人』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 『人形館の殺人』(講談社文庫)は〈館〉シリーズの異色作である。どこが? まず舞台となる地。これまでは、そうしてこのあとも中村青司の館は人外魔境ならぬ人里離れた地に建てられていたが、本作の人形館はなんと京都市中、しかも左京区北白川てふ場所なのだ。しかもこの館と中村青司のつながりは、シリーズに登場する館群のうちでもまた異色で……この点を縷々綴ると仕掛けられたトリック(大技、というた方がよいか)を割ることになるので、以下自粛。
 因みに北白川は著者の母校のある百万遍の東にあって、著者にも馴染み深いエリアであるからか読んでいて、シリーズの他の作品よりも土地の描写に力が入っているように見受けられる。気のせいだろうけれどね。
 粗筋を文庫裏表紙から引く、──「父が飛龍想一に遺した京都の屋敷──顔のないマネキン人形が邸内各所に佇む「人形館」。街では残忍な通り魔殺人が続発し、想一自身にも姿なき脅迫者の影が迫る。彼は旧友・島田潔に助けを求めるが、破局への秒読みは既に始まっていた!?」
 本作は館の立地以外の点でも異色である。但しそれを述べようとするとミステリ小説の書評/感想の独自コードに抵触してしまう。ゆえに、どこまで書くか、悩んでしまうわけだが、ぎりぎりのラインでその異色なる点に触れるなら……「一人称はすべてを語らない」、「一人称は目の前の事象を現実として語るが、その現実は必ずしも事実とは限らない」だろうか。加えてもう一つ触れれば──島田潔はどこにいる?
 この奥歯に物が挟まったような説明にもどかしさを感じて(正しい反応だ)もっと直截簡明な物言いを求める人は、こんな風に訊ねてくるかもしれない。で、全体的にどんな雰囲気の小説なのさ、と。わたくしはそのお訊ねに対して、そうねえ、と一頻り顎を撫でさすった上で、ヒッチコックの『サイコ』を彷彿とさせるかなぁ、とお答え申しあげようと思う。
 顧みて自分はミステリ小説の模範的読者かもしれない。読書中はあれこれと推理を働かせてみても大抵最後のドンデン返しにしてやられ、きいっ! と叫んで地団駄を踏み、そうしておもむろに前の方を読み返して成程と首肯し、作者の仕掛けにまんまと引っ掛かった自分に舌打ち、溜め息するのだから。
 その騙され易さは本作の読書中も健在で、就中クライマックスとなる第九章、416ページにて思わず「えっ!?」と叫び、そのあとは困惑して頭の整理にこれ努めなくてはならなかった。読み進めてきて自分なりに推理を組み立ててきて、一部については極めて正解へ近附いたようだったのに、かのページ以後になって根本からあざやかに引っ繰り返されてしまうた。執筆・出版された時期を念頭に置けば真相と仕掛けを然るべく看破できたはずなのに、まさか〈館〉シリーズでこのテを喰らうとは……!! 新装改訂版の帯に躍る「シリーズ最驚の異色編!」てふ文言の真意を、(未読の)読者よどうぞご確認なされよ。
 刊行当初から賛否両論、はっきりと二極化するという『人形館の殺人』だが、わたくしはこの長編を専らそのシチュエーションゆえに好む者である。著者もまたお気に入りの一作である由。◆

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