第2620日目 〈かくて我、聖書読書へ立ち戻りけり。〉1/2 [聖書読書ノートブログ、再開への道]

 今年になってから本ブログはもっぱら横溝正史の読書感想文をお披露目する場となり、しかし後半になると姿を消してゆき、とちゅうからは海外ミステリの感想文がいくつかそれに取って代わり、2ヶ月の断絶期間を経ていまに至る──。が、ここは本来、再三申したててきたように聖書読書ノートブログであったはず。加えて読書もノートも中途半端で終わってしまった「マカバイ記 一」と「エズラ記(ラテン語)」は後日の再挑戦を宣言し、面目躍如を期すつもりでいたはずだ。それらはご承知のように、未だ実現していない……。
 実現していない理由は単にこちらの怠惰ゆえ。聖書全巻を足掛け8年、実質7年を費やして読み終えて2年3ヶ月の歳月が経過してしまうと、気持ちは若干なりとも聖書から離れてしまうたがためそう易々とかつての如き姿勢で読書すること、資料を調べて下書きすること、こうしてMacに向かって原稿を書くこと、それら諸々を難儀に思うているのは否めぬ事実である。偶さか「一マカ」や「エズ・ラ」の再読書を行うとても資料や註釈書、研究書へ目を通しても記憶の薄欠に基づく理解不足や一知半解があるために、すぐに読書を中断して閉じた聖書を視界の外に押しやることも、実はよくあったことで。
 が、そろそろこの膠着状態を打破しなくてはならない<時>が近付いているのを、わたくしはこの身この心にひしひしと感じるようになっている(外圧、とまではいわないけれど、うん、まぁ似たような感じだね)。
 そのきっかけはなんだったろう──そうだ、第一手は今年1月に日本聖書協会の『旧約聖書続編スタディ版 新共同訳』を購入したことだった。昨年暮れにインターネットでこれのあることを知り、休み明けに電車に乗って現在では閉店してしまった書店で購い求めたのだった(読書に使っていた新共同訳聖書も同じ書店で、いまから約10年前に買ったんだよね)。
 また9月頃に神保町は駿河台下の大型新刊書店にて同じ日に引照附き/旧約聖書続編附き新共同訳と新改訳2017を購入したことや、その後図書館で秦剛平のユダヤ史の著作(捕囚解放からマカバイ戦争までの解説書)と聖書ブログ執筆中に多大な恩恵を賜ったS.ヘルマン&W.クライバーの別著を見附けて即座に借り出し読み耽ったこと、大きな要因は斯様なところだが、小さなところまで視野を広げればもっと多くの事柄が絡み合ってくるだろうが、とにかく種々様々な因子が相互に影響し合い、わたくしに作用し続け……遂に堰は破れたのだ。斯くしてみくらさんさんか、聖書読書に立ち戻りけり。
 でもそこに、実は落とし穴があった。「一マカ」の前に「ダニエル書」を読んでおく必要がある。すくなくともかつてのわたくしはその必要性を重く感じて、「ダニエル書」開巻の余白にその指示を書き付けた──のだが、「一マカ」へ実際に取り組む際は簡単に目を通すぐらいで「ダニエル書」を<読み返す>、<読み直す>ことはしなかった。面倒くさかった? 否、先へ進む気持ちが強すぎて、それを蔑ろにしてしまったのだ。おまけに「マカバイ記・一」、「エズラ記」や「ネヘミヤ記」以来の歴史書とあって興奮していたのだ……。いまになってかつての自分が書き付けた指示の意味をとく感じている次第である。
 ──と、ここでお知らせ。本日のエッセイは2部構成の予定であったが、諸般の事情により後半は明日のお披露目と相成った。どうか読者諸兄よ、ご寛恕の程を。◆

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