第2632日目 〈横溝正史「上海氏の蒐集品」を読んでいます。〉 [聖書読書ノートブログ、再開への道]

 スケジュール調整という奴を一度やってみたかったので、これ幸いと今日ここでそれを行わさせていただきます。
 「マカバイ記 一」の開始時期を見定めていましたが、これまで殆ど文章を書いていなかったせいか書きたいことが多すぎて、それを吐き出すのを優先してしまい、開始まで予想外に長引くことになってしまいました。<予定>というのを立てるのがもとより苦手なために、こんなことになってしまっております。相済みません。
 過日ここで存在をお伝えした「ダニエル書」レジュメですが、いろいろ考えた結果、体裁を整えて数日後にお披露目することにいたしました。終わるまでに3日程掛かってしまいますが、これが終わったら「マカバイ記 一」<前夜>に続けます。具体的な日付けはお約束できませんが(おい)、仕事始めの4日以後だよねぇ、とだけはお伝えできる。
 その日が来るまでゆっくりと、読みかけの横溝正史「上海氏の蒐集品」(『死仮面』角川文庫所収)を読んでいましょう。……読み始めたばかりなのでまだなんともいえませんが、これは作者なりの武蔵野レクイエムに感じられてなりません。
 この作品の前には国木田独歩『武蔵野』があり、この作品のあとには宮崎駿『平成狸合戦ぽんぽこ』がある。この3作を続けて鑑賞することで、武蔵野がどれだけ短期間で往時の面影を失ってゆき、破壊がされていったか、を否応なく眼前に突きつけられる思いなのであります。
 わたくしは東京という街を、仕事する街としか認識していませんでした。例外というべきは学生時代を過ごした御茶ノ水・神保町・秋葉原エリアと奥多摩地方ぐらい。それがこの数年で意識に変化が生じたのは、江戸時代の遺構や面影を残す地に異動して、そこに籍を置いてそれなりの歳月が経ったからでありましょう。そうして、武蔵野という場所に個人的な思い出がありましてね……自粛しますけれど。
 失われているけれどその残照はまだ街のあちこちに息づいている東京……極めて嫌いであった帝都への感情が変化したのは、ほぼ間違いなく池波正太郎と横溝正史の作品に触れたから。
 以前「貸しボート十三号」の感想でも書いたことに付け加える形になりますが──横溝正史の小説を読んでいると、その執筆時期が戦前から戦後、高度経済成長期まで至っているゆえに東京の変化が克明に記されているばかりか、公的記録になかなか残りづらい近過去の記録が留められている点で、貴重な資料となっていることに気附かされます。
 ……「上海氏の蒐集品」を読み終えたら、かつて「貸しボート十三号」や「霧の中の女」で試みたように(いや、勝手にほっつき歩いて悦に入っただけですけれどね。ん、これって“聖地巡礼”? 仕事帰りに? わお)、久しぶりに今日武蔵野と呼ばれているエリアに足を向けて、面影を偲んでみようかな。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。