第2637日目 〈横溝正史『死仮面』を読み終えました。その上で、一言。〉 [聖書読書ノートブログ、再開への道]

 横溝正史『死仮面』(角川文庫)を読了しました。表題作については、<完全版>ではないことを留保しつつも、やはり大した作品には思えなかった。たとえば、──
 クライマックスの火事で建物が焼け落ちる場面など、反吐が出るぐらいに醜悪だ。安易に建物を燃やして人命を危険にさらす、小説の展開上まるで必然性のない火事なんぞ、読んでいるだけで胸がムカムカしてくる。──誰も死ななかったから、まずはよかったですね、なんていうのには、ふざけるな、と侮蔑の一言を以て返したい。
 その火事がどれだけの心的苦痛と肉体への障害をもたらすか、果たして皆様は御存知か? 知らぬなら是非にでもご自身が経験されるがよい。そうして大切な人をその炎のなかで永遠に失ってみればよろしい。骨身に染みた身に「死仮面」の安直な火事の場面は、眉間に皺寄せるどころかこめかみに青筋浮かんでも仕方ないところだったのである。
 わたくしは横溝正史の小説はどれも好きだが、ただ1つの例外が「死仮面」。大っ嫌いだ。
 勿論、火事を扱っているから駄目だ、いやだ、というのではない。然るべき必然性があり、背景が書きこまれ、過程が丹念に描かれた上で発生した火事であれば、どんなわずかなページ数であろうとその火事の場面はじゅうぶん読むに値する、感情を逆撫でされることなくのめりこんで、われを忘れて読み耽ることができるのだが……。
 人命や人生、人間の尊厳や生活、倫理と道徳を軽んじて安易に災害を起こす小説は、どうもページを繰る手が鈍りますよ。
 感想は後日改めて書くつもりですが、併収作の短編「上海氏の蒐集品」には抗いがたい魅力を感じました。これが失われてゆく武蔵野を背景にしたミステリであることは、既に数日前にお話しした通り。
 数時間前、帰りの電車のなかで読み終えたのですが、そのときの興奮と脳味噌をガツン、とやられたようなショックは、いまでも忘れられない。殊にあのラストの仄めかし……それを踏まえて最初から読み直すと、一つ一つの描写、台詞がまた違った側面を見せてくるのですね。いやぁ、惚れました。こんな小説を書きたいです。
 ──明日からは、昭和29年に連載・発表された『幽霊男』(角川文庫)。聴力を失いつつあるいま、読書は唯一の愉悦を与えてくれる道楽だ。どんどん読むぞぉ。◆

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