第2646日目 〈マカバイ記 一・第2章:〈マタティアとその子ら〉、〈安息日の惨劇〉withそれは、誰のせいなのか? [マカバイ記・一(再)]

 マカバイ記・一第2章です。

 一マカ2:1−28〈マタティアとその子ら〉
 さて、舞台はいったんエルサレムから離れる。その北西約30キロあたりにモデインという町へ、われらは視点を移そう。
 この町で祭司の職に在ったマタティアは、シリアの迫害を避けてエルサレムから逃れ来たった人。かれには5人の息子がいるが、うち3人は後のユダヤの歴史に名を刻むこととなった。即ちタシと呼ばれるシモン、マカバイと呼ばれるユダ、アフスと呼ばれるヨナタンである。
 息子たちを前にしてマタティアの嘆きの言葉は尽きなかった。わが同胞と聖なる都が滅びるのを見届けるために今日までわたしは生きてきたのだろうか、都も聖所も敵の手に落ちてしまったというのにわれらはなにもできずただ坐して嘆くだけなのか……「我らにまだ生きる望みがあるのだろうか。」(一マカ2:13)
 マタティアたちは憂い嘆き、憤り、慟哭した。
 ──或るとき、背教を強いる王の役人がモデインを訪れ、マタティアに率先して王の命令、つまり先祖の宗教を棄てて従うよう促した。それに応えてマタティアの曰く、否、と。続けて、たとい他がどうであろうとわれらはわれらの先祖の契約を守って歩むのだ、と。
 「律法と掟を捨てるなど、論外です。わたしたちの宗教を離れて右や左に行けという王の命令に、従うつもりはありません。」(一マカ2:21)
 そのとき、事件が起こった。集まった人々のなかから男が1人、進み出て、王の命令に従って異教の祭壇へいけにえをささげようとしたのだ。マタティアはこれを見て義憤に駆られ、律法への情熱に駆りたてられるまま剣を抜き、男を斬殺。それのみならず、シリアの役人も同じように斬り捨てて、件の祭壇を引き倒した。
 それらのことのあと、マタティアは息子たちを連れて付近の山岳地帯(丘陵地帯、という語の方が適切か?)に逃れた。律法に情熱を燃やす者、聖なる契約を守らんとする者は、われらに続け、てふ台詞を残して。

 一マカ2:29−38〈安息日の惨劇〉
 時を同じうして、悲しむべきこと、忌むべきことが、別の場所で起こった。やはり王の背教の命令に従うことのできない一派が荒れ野へ逃れ、シリア軍の追撃を受けたのである──その日は安息日であった。
 シリア軍は荒れ野のユダヤ人たちに投降を促した。が、安息日を汚せという王の命令には従うことはできない、とユダヤ人らはこれを拒絶したのである。
 これを聞いたシリア軍は攻撃を開始した。かれらに、ユダヤの習慣も決まり事も無縁だ。ゆえに安息日だからとて容赦はしなかった。そうして当然のようにユダヤ人たちもいっさい抵抗することなく、ただ討たれ、傷附き、血を流し、倒れ、死んでゆくに任せたのだった。
 「お前たちが我々を不当に殺したことを大地が証言してくれよう。」(一マカ2:37)
 この日、犠牲者は1,000人に及んだ、という。

 一マカ2:39−48〈抵抗の始まり〉
 安息日の惨劇の報は、マタティア父子の耳にも届いた。心からの哀悼をささげた後、かれらは話し合い。たとい安息日と雖もわれらを脅かす者あらば躊躇することなく戦おう、と決めた。“われわれは戦わずして、滅びはしない。われわれは勝利し、生存し続ける”──なんてカッコ良くて胸震わせるスピーチを行ったかどうか、そんなことは知らないけれどね。
 この頃、マタティアのグループにイスラエル屈強とされるハシダイの一軍が合流した。迫害から逃れてきた人々も、マタティアたちのことを知ってやって来て、グループに加わった。次第次第に力を蓄えて強くなっていったかれらは、律法から離れて罪にまみれた同胞らを見附けるとこれを成敗し、各地にある異教の祭壇を片っ端から引き倒した。また、割礼を施されていないユダヤ人男子があればただちに割礼を施したのだった。
 「こうして彼らは不遜な者どもを追撃し、勝利への道を着々と手にして、異邦人や、王たちの手から律法を奪回し、勝利の角笛を罪人に渡すことはなかった。」(一マカ2:47−48)

 一マカ2:49−70〈マタティアの遺言〉
 マタティアに死期が迫った。息子たちを枕頭に呼び、遺言して曰く、──
 「今は高慢とさげすみのはびこる、破滅と憤りの世だ。お前たちは律法に情熱を傾け、我らの先祖の契約に命をかけよ。我らの先祖がそれぞれの時代になした業を思い起こせ。そうすればお前たちは、大いなる栄光と永遠の名を受け継ぐことになる。」(一マカ2:49−51)
 「お前たちは、律法を実践する者全員を集め、民のために徹底的に復讐することを忘れるな。異邦人たちには徹底的に仕返しし、律法の定めを固く守れ。」(一マカ2:67−68)
 そうしてマタティアは息子ユダ・マカバイを抵抗軍の指揮官に任命した。
 かれはギリシア人の王朝の第146年、というから前166年に死んだ。遺体はマカバイ家の町、モデインの先祖の墓に葬られた。
 全イスラエルはマタティア逝去を知ると、深い悲しみに暮れた。そうして心から彼の死を悼んだ。
 ここに1つの命の火が消えた。しかし、勝利と独立の灯はたしかに点り、まだ薄暗い未来をほの照らしたのである。

 モデインの町にて某ユダヤ人は進んで異教の甘受を行おうとした。マタティアはそれを背教と追従がさせた行為と受け取ったようだ。律法を尊んで為政者の命令へ逆らう者たちにとって、異教の祭壇に献げ物をささげるなんて以ての外だ。それはじゅうぶん理解できる。
 が、果たして律法から離れて異邦人の習慣に従うばかりが、かの某ユダヤ人の考えであったろうか。好意的な見方であるのは承知の上で意見を述べれ、もしかするとそれは町の住民の安全と存続を第一に考えた結果の行動であった、と、わずかばかりの可能性を検討できないだろうか。
 正直なところ、マタティアは──ひいてはマカバイ家の面々全員引っくるめて──とても視野が狭く、石頭で、自分の考えこそが正しく唯一絶対である、と思いこんでいるような、いちばんリーダーに向かないタイプの人間であります。そこに血の気が多い、戦闘的、猪突猛進、というキーワードが加われば、まさしく最悪というてよい。こんなリーダー、今日なら誰にも従われませんよ。
 モデインの住民であればマタティアのこんな気性は承知でありましょうから、シリアの役人が来て「あなた、町では有力者なんだから王様の命令を聞いて、とにかくユダヤの神様への献げ物や掟を守ったりするの、やめてもらえませんか? どうですかね、そのあたり?」といったら、どんな言動をしでかすか、容易に想像はついたでしょう。
 下手すると、モデインの町そのものの存続が危ぶまれ、住民の命も危険にさらされる。そう賢くも判断した某ユダヤ人が2人の会談に割って入り、「まぁまぁ、見ての通りあなた方のいうとおりにしますから、ご安心くださいよ」なんてなだめる役目を自らに課したのかもしれない──が、逆上したマタティアに殺されちゃった。たまったものじゃぁありません。
 とりあえずは恭順した振りをして、去ったら元の生活に戻る。そんな考えはマタティアの頭にはなかっただろうし、あったとしても片隅に押しやって思い着かなかったことにしたでしょう。勿論、時代はそんなオチャラケタ誤魔化しを求めてはいなかったでしょうけれどね。
 まぁ義憤を胸に自分の正しいと信じる道を進むマタティアと、権力者への追従に奔走して自らの安泰を確保しようとする某ユダヤ人。どちらにも首肯できてしまうのです……なにとはなしに自分がこれからしようとしているところに重なる部分が、多々ありますものですから。



 めっきり集中力が落ちたのか、それとも冬にしか出番のないアイツの魔力ゆえか、1本の映画は当然、1時間ちょっとの海外ドラマすら最後まで鑑賞することができません。
 イギリスBBCの『そして誰もいなくなった』中編を観ていたのだが、途中からすっかり目蓋が重くなり、遠のく意識のなかで登場人物たちの台詞がさざ波のように聞こえるばかりでした。やたらと長い中編だなぁ、前に観たときもこんなに長かったかしら、と刹那目覚めたときに小首を傾げてみたら案の定いつの間にやら後編に突入していて、びっくり仰天。
 さすがに寝よう、と決めていまに至っているわけですが、果たしてどうなのでしょう、これはわたくしの集中力に欠如が原因なのでしょうか、それとも、やっぱり冬にしか出番のない四角くていちど入ると抜け出すことを難しくさせるアイツの仕業なのでしょうか……?◆

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