第2648日目 〈マカバイ記・一第3章2/2:〈ニカノルとゴルギアスの出陣〉&〈ミツパの戦い〉with奥の院級のフランク《交響曲ニ短調》。〉 [マカバイ記・一(再)]

 マカバイ記・一第3章2/2です。

 一マカ3:38-45〈ニカノルとゴルギアスの出陣〉
 国事を託されたリシアスは、ニカノルとゴルギアス、ドリメネスの子プトレマイオスの3人を将軍に抜擢し、歩兵40,000、騎兵7,000を擁した軍隊を与えた。ユダヤ掃討のための軍隊である。かれらはアンティオキアを発ち、進路を南に取り、ユダヤへ迫る……。
 シリアの大軍近附く──マカバイはその報に接すると兄弟たちを集め、敬虔なユダヤ人と聖所のために戦うことを誓いあった。

 一マカ3:46-60〈ミツパの戦い〉
 マカバイ軍はエルサレム北部にある町、ミツパに向かった。むかしからイスラエル/ユダヤの人々はミツパにて祈りをささげることが多かったからである。マカバイたちはミツパで律法の巻物を開き、祈りをささげ、天に慈悲と憐れみを請うた。
 終わるとマカバイは千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長を選出して指揮官に任命した。また、律法の定めるところに従って以下の者に、戦列から離れて帰還するよう命じた。即ち、──
 ・家を建てている者、
 ・婚約している男、
 ・ぶどうの種付けを行っている者、
 ・心怯んでいる者、
──である。
 そうしてマカバイ軍はミツパを発って、敵が陣を敷いているというアマウス目指して進んだ。
 「わが民族と聖所に加えられる災いを目にするくらいなら、戦場で死ぬ方がましではないか。万事は天の御旨のままになるであろう。」(一マカ3:59-60)

 シリアの3人に将軍がどのような人なのか、「マカバイ記 一」が述べることはほぼ皆無であります。が、「マカバイ記 二」がかれらの出自や履歴を伝えているので、ご紹介しておきます。
 第38-45節のタイトルロールを務めるニカノルはアンティオコス4世の、いちばんの親友パトロクロスの子。ゴルギアスは実戦経験が豊富な将軍、プトレマイオスはコイレ・シリアの総督、として、それぞれ素描されています(二マカ8:8-9)。
 実戦経験が豊かで、従ってこの3人のなかでは最もマカバイ軍に打撃を加え得ると想定、期待されていたであろうゴルギアスが、次の第4章にてまさか裏をかかれることになろうとは、きっと誰も考えていなかったことでありましょう。
 もっともその第4章の当該項、どうも記述(というより日本語訳)が曖昧で、なんど読み直しても解釈が一定しない。他の訳を読んでも大同小異ゆえに、本ブログではわずかの補記を余儀なくされたわけですが、それは第4章を読む際にご確認いただければ幸いです。
 ところでマカバイはミツパの地で一部の者に帰還を命じた。律法に従って、というので、では律法のどこに該当して対象者になったのか、調べてみましょう。
 <家を建てている者>は申20:5「新しい家を建てて、まだ奉献式を済ませていない者はいないか。その人は家に帰りなさい。万一、戦死して、ほかの者が奉献式をするようなことにならないように」に該当。
 他3つの兵役免除の要件も同じ「申命記」第20章〈戦争について〉に規定がありまして、<婚約している男>は同7「婚約しただけで、まだ結婚していない者はいないか。その人は家に帰りなさい。万一、戦死して、ほかの者が彼女と結婚するようなことにならないように」、<ぶどうの種付けを行っている者>は同6「ぶどう畑を作り、まだ最初の収穫をしていない者はいないか。その人は家に帰りなさい。万一、戦死して、ほかの者が最初の収穫をするようなことにならないように」、そうして最後の<心怯んでいる者>は同8「恐れて心ひるんでいる者はいないか。その人は家に帰りなさい。彼の心と同じように同胞の心が挫けるといけないから」と。これらのことは出征にあたって兵士たちに、役人が勧める事柄となっております。
 ……「エズラ記(ラテン語)」が終わって各書物の<前夜>の改訂が終わったら、「レビ記」以下の律法や幾つかの書物の読み直しが必要かなぁ……。
 コイレ・シリアは聖書を読んで調べ事をする際、たびたび登場する地域名であります。「コイレ」はギリシア語で「くぼんだ」を意味する。レバノン山脈と、現在のシリア・アラブ共和国とレバノン王国の国境アンチレバノン山脈の間に横たわるベッカー高原を指しますが、聖書の時代はもう少し広く取ってユダヤやフェニキア地方を含めた今日のシリア南部、国境が接するヨルダンとレバノン、イスラエル全域を指す、特にディアドコイ戦争後はプトレマイオス朝とセレコウス朝が領土争いの舞台となることが多々ありました。そりゃぁこれだけ広大で交通と通商の要を担う地であれば、双方、どれだけの犠牲を払ってでも喉から手が出る程欲しかったでしょうね。
 ミツパはかつてのベニヤミン族にあてがわれた土地にある町で、エルサレムの北に位置する。かつてサムエルはイスラエルのなかにある異教の神々を取り除いたあと、ミツパに民を集めて異教の神々を崇めた罪を告白させ、然る後に主への信仰へ立ち帰らせる宗教改革を断行した(サム上7:3-6)。また、サムエルはこの地でやはり民を集めさせた後、ベニヤミン族はキシュの息子サウルへ油注いで統一王国イスラエルの初代王に任命した(サム上10:17-26)。
 斯様にミツパの地はイスラエルユダヤがなにごとか大事あらんときは集まって、祈りをささげたりする場となっていた。おそらくマカバイはそれに従ったのでしょう。
 シリア軍の集結地となったアマウスは、どうも他で名の挙がる様子がない地名であります。但しこのアマウス、新約聖書では「アマオ」てふ名で知られる村らしい。「ルカによる福音書」第24章第13-35節にて、エマオへ向かう弟子クレオパ他1名に復活したイエスが近附き、会話しております。
 旧約聖書続編に限らず聖書に登場する地名は、今日では別の名前で呼ばれていたり遺構が残っているならまだマシで、どこにあった場所なのか想定するより他ない、或いは候補が幾つもあって同定できない、というパターンがけっこう多い。調べるのは大好きで特に負担でもないのですが、この結論が出ない、という症状は本当に疲労感たっぷりで抜け殻のようになります。まぁ、ものの数分で回復するんですけれどね。



 初めてフランクの交響曲ニ短調は、フルトヴェングラー=VPOの廉価版LPだった。〔ロンドン1,000〕っていうシリーズ。池袋の開店したばかりの中古レコード店のエサ箱から発掘したんだよね。21歳頃かな?
 どうやらわたくしが夢中になるフランクの演奏は、中古店で見出され、しかも廉価版シリーズに入るものであるらしい。
 閉店する中古CDショップで見附けたバルビローリ=チェコ・フィルによるフランクの交響曲ニ短調。一期一会ということを別にしても、演奏から伝わってくる熱気と興奮、歌の美しさと優しさ、厳めしさと祈りなどなど、わたくしにとってこれは、フルトヴェングラー盤に肩を並べる奥の院級の演奏でした。
 だけど唯一の不満はバルビローリ客演のいきさつや反響などが、ライナーノーツに一言も触れられていなかったこと。資料など執筆者の手許にはなかったのかな。それとも廉価版CDのシリーズへのライナーだから省いて構わない、と判断されたのかな。◆

共通テーマ:日記・雑感