第2650日目 〈みくらさんさんか、つまみ喰い読書を実践する。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 ゑいや、と思い立って部屋の片附けを始めてみたら、パソコン環境が壊滅的に非道くなった。しばらく机に向かうこともネットに繋ぐことも不可能な散らかりよう。
 え、MBA? いや、これを置くスペースすら机の上にはなかったんだ。スタバでドヤ顔Macしろ? 仕事帰りは自動的に自宅へまっすぐ帰宅しているようプログラミングされているんでね、それは無茶な相談だ。
 休日? すまん、先月と今月の週末祝日は新しいアパートの引渡や内見、入居者募集なんかで大わらわ、とてもじゃないが落ち着くことなんてできませんでしたよ。充実はしていたけれど、ね。
 さて、「ああ言えばこう言う」な問答はここまでとしていつも通りに真面目な話へ移ろう。真面目な話なんてしていたっけ。そう疑問に思うのは構わないが、くれぐれも過去記事を覗いて回ったりなさらぬが賢明だ。なんというても今宵は<オカルト・フライデー>なのだから。あ、もうフライデーじゃないか……まぁそんな細かいことは気にしない、気にしない。go ahead.
 横溝正史を1冊読み終えたとき、続けて他の作品へ手を伸ばすときもあれば、気分転換というかちょっとつまみ喰いのような感じで他の作家の長短編に浮気することもある。
 後者については昨夏の<海外ミステリの古典を読んでみよう>マラソンに発展したし、その〆括りに当時話題になっていまも売れまくっている様子のアンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』を読んで、大いに英国ミステリの最前線を堪能しもした。が、長編ではいつ横溝に戻ってこられるかわからない、という懸念というか不安が常に付きまとう。
 嗚呼、これは既に実証済みなのだよ、ヘンリック。わたくしはかつてアガサ・クリスティで、太宰治で、ドストエフスキーで、同じ轍を踏んでいる。そうして困ったことにわたくしは失敗からなにも学ばず、かりに教訓を得たとしてもそれを活かす能力を欠いていたらしく……。いやはや、困ったもんだね、オッペケペッポーペッポーポー。
 が、それはもはや過去の話だ。
 長編では本来の路線に戻るに時間は掛かろうが、短編ならば……殺人よりも容易だ! ちょうど読みたい短編も、あった。文芸誌に掲載された新人小説家の作品だが、すぐにでも読みたいのにそうするのがちょっと怖くて読むのを躊躇っていた作品が。
 いえ、『小説すばる』2018年11月号に掲載された松井玲奈の「拭っても、拭っても」なのですけれどね。結局今週の月曜日かな、帰りの車内で読み終わらず地元のドトールにて深い満足感を以て読了した。
 そのとき思いましたよ、いやぁたまには現代作家の、ジャンル小説以外の作品を読むのも良いものだ、とね。感想はメモしてあるので後日、本ブログにて感想文をお披露目する可能性は否定できない。
 横溝正史読書マラソンが終わるまで他の作家・他のジャンルに心を移さない。過去の失敗を今度こそ、わたくしは繰り返さない。そのためにも──ガス抜きと気分転換を目的に──つまみ喰いのようにして、他の作家・他のジャンルの1冊或いは1編に手を伸ばし、次の横溝作品を読む活力を得る。
 わたくしは過去の失敗を分析して、心を強くして、つまみ喰い読書を採用した。すべてはまだまだ続く横溝正史作品の山脈を踏破せんが為である。金田一耕助ものは1/3を残すばかりとなったとはいえ、由利先生やノンシリーズ、時代物はまったく手着かずだ。そのくせエッセイは存分に読み耽っているというね。
 わたくしは過去の失敗を分析して、心を強くして、つまみ喰い読書を採用した。自分を知る者は幸いである、なぜならば不断に自分を鍛え、律してゆくことができるからだ……と思うているんだけどなぁ。◆

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