第2664日目 〈愚人は嘘に怯え、人を欺いて今日を過ごす。〉 [日々の思い・独り言]

 未だ続くうしろ暗い蟄居の間、片附けせばやと思ひ立ちて、机の引き出し、棚の奥、積み重なりたるダンボール箱のなか、ごそごそ漁りてあらば、いと懐かしう作物を見附けてわれしとゞ涙に暮れにけり。
 それなむ学生時代の講義ノートにして、そのうちの一つは『古事記』なり。講師のアベ様は病のためなかなかその御姿御声に触れることなかりしが、幸ひにして最終の年に復帰せられて一年にわたりて『古事記』をなむ講義され給ふ。
 ──扨、現代日本語の文章に戻ろう。
 先生に指定された箇所を訳して翌週にそれを読む、というのが、履修する学生への課題であった。たまたま坐っていた席の関係で、順番は早くに訪れた。伊耶那岐と伊耶那美の国生みの挿話あたりであった、と記憶する(「伊弉諾」「伊弉冉」は『日本書紀』の表記)。古事記全訳なんて酔狂な企みが生まれた日である。それから約7ヶ月を費やして、日本古典文学大系本を底本に次田真幸『古事記全訳注』(講談社学術文庫)全3巻を主たる参考文献としながら、粛々と翻訳の筆を執り続けた。
 卒業論文に『古事記』を取り挙げたのは当然の流れだけれども、テーマを偽書説としたのは、上田秋成を案内人に分け入った国学に影響されたところが大きい。
 国学とは(平たくいえば)日本古来の思想や言語、歴史や文学などを俎上に上せて、神国日本の<国体>を明らかにせむ、とする学問で、特に近世中期以後目立って活発になった運動である。後の復古運動の原動力にもなった学問、といえば却って読む人の目を曇らせるか。この分野を代表する人に契沖や荷田春満、賀茂真淵や本居宣長、平田篤胤などがいる。近世中期にこの運動が全国規模になったのは、印刷技術の向上や出版物の増加と流通拡大が背景にあったからだ。
 その有象無象の国学者達が殊更好んだ話題に、<古事記偽書説>がある。一大潮流となることはなかったようだが、『古事記』の成立を巡って、また『日本書紀』との関係から議論されたことは事実だ。
 そうか、そんな考え方もあるのか。そう首肯していたと同じ時期、大和岩雄著す<古事記偽書説>についての一連の研究書に親しむ機会を得た。それまで古事記を読んで、もやもやした疑問、ちぐはぐな印象を抱いていたところでもあり、それらを解決する光明を見出したような思いを、そのとき感じたことである。
 斯様にして執筆に至った、<古事記偽書説>をテーマにした卒業論文(のコピー)が、あれから四半世紀を経たいま、わたくしの手許にある。
 顧みるまでもないことだが、ずいぶんと遠いところまで来てしまった。ただ一筋の道を外れることなく正直に歩いてきたのではなく、辛抱のなさと染みついた休み癖のせいで根無し草の如くあちらへふらふら、こちらへふらふら、と彷徨うている。後ろ暗い毎日を無為に、そうして怯えつ騙しつ暮らしているのであります。
 自らを叱咤し、病気に打ち克ち、明日こそは今日こそはと心に決めても暮令朝改。弱きに負けて、今日もまた……。もう、どうしようもない人間です、わたくしは。根太が腐っているどころの話ではない。救い難いレヴェルで人間が腐っている。約束さえ守れぬ、この愚かさよ。
 咨、父祖ははたしてわたくしをば赦すらむ。花の嘆き怒り、悲しみ嗚咽し、倒れるをまた見るや。
 いまのわたくしは、社会人として最低である。その資格すらないといわれても「否」と抗うことはできない。そうして、あらゆる意味にてわたくしは親不孝者である。この単純な一語に、あらゆる想いを含めて、斯く己を罵倒する。◆

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