第2691日目 〈遂にやります、私家版《新潮文庫の100冊》!〉1/2 [日々の思い・独り言]

 高校生の頃は新潮文庫が開催する《新潮文庫の100冊》が、読書の格好の手引きとなっていたことを覚えています。1980年代後半の100冊の内訳は、流石にもう覚えていません。が、2019年の目録に載る本と較べると、やはり、ずいぶん様変わりしたように感じます。
 あの頃はこんなにたくさん、現役作家の本が入っていたかしら。日本文学に則していえば、もっと近代から昭和なかば──三島と川端あたりを下限としたラインナップだったのでは、なかったかな。現役作家では赤川次郎と阿刀田高、遠藤周作や三浦綾子、その他数人が名を連ねるが精々で、どちらかというと隅っこで小さくなっていた印象を失礼ながら、抱いているのだが。
 ──以前から私的に100冊をリストアップして、まとめてみたいと思うていました。現在も流通しているか、そこには拘泥せず、これまで自分が読んで糧となった新潮文庫、刺激を受けた新潮文庫、繰り返し読み耽ってボロボロになってしまった新潮文庫、火事の煤煙を丁寧に払っていまも架蔵する大切な新潮文庫。そんなのを、品切れとか流通しているとかまるで気にせず、自由にリスト化してみたかったのです。
 取り掛かった当初は、その時点で最新の文庫目録に載るものだけで100冊を構成するつもりでした。が、一読、それは無理だと判断した。かつて親しんだ本が殆ど姿を消してしまっているのは仕方ないにしても、それに代わるだけの本を見附けることが、まったくできなかったのです。
 ほんとうに信じられない書目が姿を消していました。その筆頭が、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』だったのですがその他、丸谷才一の本や海外文学の古典が多く消えてしまっている事実に、腰を抜かしそうになりました。ちょっと大げさかもしれませんが、それぐらいびっくりしたのです。それらも電子書籍では読めるようですが、紙の本を読みなよ、と、いまさらながら槙島聖護の名言を呟いて嗟嘆してしまうのであります。
 そんな次第で、明日お披露目する私的《新潮文庫の100冊》は絶版・品切れ本も含んだリストです。正直なところ、一部の作家については作品選別に、若干の迷いがある。でもまぁ、こういうリストとかベストというのは、或る程度その場の勢いも手伝って選ぶ側面がありますから。
 いったんはリスト入りしたものの理由あって削るに至った作家も、何人かいます。代表格は泉鏡花と永井荷風。この2人については新潮文庫の品揃えはあまりにお粗末なので、充実したラインナップを持つ岩波文庫で私的100冊を選ぶ際にご参加願うことにしております。
 その反対に諸般の事情で、リスト入りさせられなかった作家もいる。芹沢光治良や山本有三、サガン、スタンダール、モーパッサン、ユゴー、スタインベック、デュ・モーリアなどです。芹沢光治良は『人間の運命』を加えたかったのですが、流石に全7巻は長すぎます。もっともここに挙げた作家たちについては後日、リストを改訂する際に席を用意するつもりでおります(※)。
 最後に1つだけ、お断りを。「カラー版作曲家の生涯」という全10巻のシリーズが、かつて新潮文庫にはありました。これもいまではすべて品切れの様子。古本屋を丹念に回れば苦労せずに集められるはずですが、それでも一部の巻は見附けるに時間を要すのでは。
 これはじつに重宝するシリーズでした。作曲家の生涯を俯瞰するに必要なカラー図版に加えて、演奏家や評論家のコメントまでが載った、かれらの音楽を鑑賞するのに最強かつ最良の水先案内人となる本だったのです。これを全点取り挙げる、というのが今回のリストで目的としたことでした。斯様に素晴らしいシリーズを品切れさせて安穏としていられる新潮文庫への、ささやかな抗議であります。
 明日のリストは文字通り、作者と署名を列挙したものなので、特にコメントなどは伏しませんが、折を見てTwitterにて紹介や感想などお伝えできたらいいな、と考えております。◆

※2019年08月21日21時15分に「私家版《新潮文庫の100冊》」最終改訂版ができあがりました。
 ここに名の挙がったなかからはアナイス・ニンとヘンリー・ミラー、サン=テグジュペリ、エミリ・ブロンテを削ってサガンとスタインベック、ユゴー、デュ・モーリアをそれぞれ加えました。
 また赤川次郎と夏目漱石の作品を当初のものと差し替えています。具体的には赤川次郎は『女学生』から、夏目漱石は『草枕』から、リスト掲出作品に変更しました。□

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