第2693日目 〈一生懸命、〈前夜〉を書いています。〉 [日々の思い・独り言]

 旧約聖書の書物のうち、「民数記」から「士師記」までの〈前夜〉第1稿を書きあげました。既存のものがある場合、今回の原稿は第2稿というべきかもしれませんが、敢えてここでは「第1稿」とする。
 既に福音書を読んでいた頃から過去の〈前夜〉を書き直す、と考えていたのですが、ずっと先延ばししてばかりでした。今回、知人が同人誌の話を持ってきてくれたことでようやく腰をあげた次第ですが、なんというか、前回よりも早く、さほど労せずして原稿が仕上げられるのはどうしてだろう。
 つらつら考えてみたのですが、やはり聖書全巻を通読している経験は大きいようです。先の見通しができているといないとでは、書ける内容もその幅も自ずと違ってきます。そうして、全体が見えている分、書くべき内容が抽出できて結果的に早く仕上げられる。決定稿に持ってゆくまで、まだ紆余曲折はあるかもしれぬが、それでもその場合の叩き台ができあがっていることは時間の短縮につながる。
 加えて、当該書物を読み進める際に使った資料がリストになっていますから(本によっては架蔵、或いはコピーがありますから)、原稿を書く際、どの本のどこを見ればいいか、どのような本にあたれば自分の知りたいことへ辿り着けるか、おおよその見当は付いてしまいます。渡部昇一が著書のなかでいうておりますが、これこそが「本があることの自信」なのでしょう。
 たしかに、たとえば今日書いた「士師記」は冒頭部分に悩み、書きあぐね、その後も迷走しかけた箇所ありと雖も、いったん書き進むべき方向が定まったら、あとは簡単でした。全体のパースペクティヴが浮かべば、本書を新約聖書につながる歴史物語の本格的開幕と捉えるのは至極妥当と思いますし、併せて、これが編集されてゆく過程もおおよそ推察できるのです。
 このあとも「ルツ記」、「サムエル記」上下……と続いてゆきますが、正直なところ、いつまで現在のようなペースが保てるか、わかりません。療養中のいまだからこそ、というペースであるのはじゅうぶん承知していますからね。が、たとい途中で失速したとしても、「書ける」という自信がありますから、復調するのもそう時間はかからないんじゃぁないのかな、と楽観しているのです。
 最初は既存の〈前夜〉に増補すればいいか、と考えていた書物もあるのですが(まさに「士師記」がそうでした!)、上記のような理由もあって新しく原稿を書いてしまった方がクオリティも、また精神衛生的にも良さそうなのです。平たくいってしまえば、増補する方が手間がかかるし、面倒臭い。それに新稿を仕上げる方が、わたくしは好きなのです。
 ──〈前夜〉をいつお披露目するか、どのようにお披露目するか、まだなにも考えていません。書き直しを予定していた「民数記」から12小預言書の「ヨエル記」までの〈前夜〉を書き終えたあと、1日1書物毎に毎日お披露目するか、或いは<モーセ五書>、<歴史書>、<文学>、<預言書>とカテゴリー別に順次お披露目してゆくのか(連続するか否かは別として)。……さて、この件、いったいどのように解決しますことやら。
 読者諸兄に於かれましては、ゆっくりお待ちいただけれるとうれしいです。◆

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