第2694日目 〈思い出の岩波文庫──『若山牧水歌集』〉 [日々の思い・独り言]

 「次は岩波文庫の100冊を書く気だろう?」と、先日の記事を読んでくれた知人が、LINEしてきました。どうやら見抜かれているようです。
 さすが、20年来の付き合いだね。そう返信すると、かれは何冊かの書名を挙げてきました。うなだれるよりありませんでしたね。だってまさしくそのうちの8割が、「私家版《岩波文庫の100冊》」に取り挙げるつもりの本だったのですから。
 そんなにわたくしの趣味嗜好はわかりやすいでしょうか。
 ──わたくしが初めて岩波文庫を買ったのは、高校生のとき。大人の階段を登るような緊張と気恥ずかしさ、そうして高揚感は、ふしぎといまでも覚えています。どうしてなのだろう、この初体験を鮮明に覚えていられるのは? それはさておき。
 当時は幻想文学にどっぷりハマっていたので、初めての岩波文庫もその系統の本だろう、というと豈図らんや、然に非ず。生涯初の岩波文庫は若山牧水の歌集だった。2冊目になった泉鏡花『高野聖・眉かくしの霊』を購入したのは、それから何ヶ月も経ってのことです。
 書店の棚に数ある緑帯から牧水歌集を手にしたのは、早くも抱いていた沼津市への郷愁がそうさせたのでしょう。いまは『ラブライブ! サンシャイン!!』の聖地として全国に名を馳せることになってしまった伊豆への玄関口、沼津市。若山牧水は明媚なるこの街に暮らして最期を迎え、その墓も市内のお寺にあります。
 住んでいたマンションからすぐ近所の公園は、防波堤をあがれば目の前は駿河湾、というロケーションなのですが、この公園に若山牧水の歌碑があった。
 「幾山河 こえさりゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく」てふ有名な短歌が刻まれていますが、あろうことかわたくしはこの歌碑によじ登って隣の派出所のお巡りさんに叱られ、また口裂け女が流行った頃にはここを秘密基地の前哨に見立てて<口裂け女捕獲作戦>を友どちと練ったこともある。──ああ、なんと阿呆な思い出のつまった場所であることよ。
 ま、まぁそれだけ、わたくしには子供時代から、千本松原を作った増誉上人と共に馴染みある存在だったわけであります、若山牧水は。
 書店で牧水歌集を手にしたのは、さきほど郷愁ゆえと書きましたが、その前段階で国語の授業にて牧水の短歌に触れる機会があったのかもしれない。そのあたりの事情は、もう覚えていません。
 いまでは岩波文庫の牧水歌集も、喜志子夫人の編集した旧版から伊藤一彦が編集した新版に切り替わっているようですが、どちらも牧水の短歌への限りない愛情と理解に根ざした、丁寧な仕事です。どちらかを持って満足するのではなく、できましたら両方の版を所有して、選者の編集方針の違いが、どの短歌を重複して選ばせ、どの短歌を一方が選ばなかったか、などそうした微妙なセレクトの差違を楽しまれてみると良いと思います。
 沼津市、若山牧水ときたら、次に登場する岩波文庫の日本人作家は当然、大岡信になるのですが、思い出云々以前にまだ岩波文庫入りしてそれ程経っていない人でもありますので、この人の作物については別の機会にお話しすることとします。
 耳の方がちょっと落ち着いたら、久しぶりに牧水歌集を持って沼津に行ってみようかな。でも、そんな日がいったい来るのかしら? いや、いけない。希望を持ち続けなくては。◆

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