第2696日目 〈加藤守雄を追いかけ続けた約20年。〉 [日々の思い・独り言]

 それまで身辺の世話をしてきた弟子が出征で不在になったため、折口が新たに自宅へ同居させることになったのが、慶應義塾大学文学部国文科の教え子加藤守雄であった。昭和18(1943)年9月のことである。
 わたくしはひょんな繋がりから加藤守雄氏を知った。学び舎に日本古典文学を専攻していたこと、そこに折口信夫の学統に連なる恩師がおられたこと、その恩師を指導された教授の本を古書目録などでぽつぽつ集めて読み耽っていたこと、折良く朝日文庫から氏の主著『わが師折口信夫』が出版されて巻末の主要年譜にわが学び舎の名が一行記載さていたこと、エトセトラ・エトセトラ。これらの繋がりが結ばれたところに、加藤守雄氏は存在していた。すべてを束ねる役を担うかのようにしてそこにあり、自分でもわけ知らぬままわたくしはその業績の森へ分け入ってゆくことになる。
 ちかごろ折口信夫の著作、関連書が角川ソフィア文庫に入って。うれしい。元々角川源義は國學院大學で折口博士に学んだ民俗学者であった。博士の代表作『古代研究』が現在ソフィア文庫から復刊されているのも、早川孝太郎『花祭』や『猪・鹿・狸』が講談社学術文庫から編入されたのも、否、ソフィア文庫にあらねど柳田国男の著作が体系的に、岩波文庫よりも充実した内容を誇って収まるのも、源流を辿ればみな創業者の、師への敬慕と学問の情熱に端を発した仕事の系譜に連なることなのだ。むろん、そのなかには折口全集の刊行を巡るトラブルに窺い見られる商魂があったことも、否定はできない。
 この流れを途絶えさせることなく角川ソフィア文庫には、折口信夫と門人たちの著作、民俗学の古典的著作をどんどん収めて、さらに内容を充実させていただきたい。就中わたくしがここに収録されるのを望む本が、加藤守雄『わが師折口信夫』である。

 加藤守雄『わが師折口信夫』は雑誌『文藝春秋』に2回にわたって掲載後、昭和42(1967)年6月に同社より単行本が、単行本への著者書き入れ本を底本に朝日文庫から平成3(1991)年11月に刊行された。いずれも絶版品切れ、古本屋を丹念に回れば文庫版はさほど労せずして手に入るだろう。
 本書は、著者と折口との、異常な愛と執念の回想記の一面を持つ。これまで本書に寄せられる評価も専らそちらの方面からが多かった。かつてわたくしも、折口の同性愛嗜好がもたらしたこの、不幸な師と弟子の訣別のドラマを書評した。
 が、約半世紀ぶりに本書を紐解いて、また当時大学のメディアセンターにこもり、都立中央図書館に日参して書籍・雑誌に掲載されて埋もれたままの氏の著作を複写し、学校に保管される講義目録や新聞各種、折口博士記念古代研究所からご提供いただいた氏の講演が書き起こされた紀要を検めているうち、『わが師折口信夫』発表がもたらした色眼鏡的見方はいつしか薄れ、むしろ、在野の国文学者・民俗学者として生きた氏の学問業績の大きさと深さに開眼し、そうして教え子たちが口を揃えて語る人間的魅力に惚れこんでしまった。
 教え子のひとりがゆくりなくも語ってくださった、もしかすると加藤氏こそが折口信夫の学問の継承者にふさわしく、また世間に対して発信塔の役割を担うべきでなかったか、という言葉がいまでも印象深い。
 自分が加藤守雄氏の著作に触れて、のめりこむようにして氏の書かれた文章を博捜して、共著書や寄稿した論文の載る単行本、雑誌を見附けては買いこみ、それらに未収録の文章(とっても多い!)を求めて上述の如く複写という形で多くを蔵すようになったのは、どうしてなのだろう?
 氏が関わった2つの学校に偶然ながら在籍して、そこで氏を知る人たちの謦咳に接することができたのは、非常に大きな幸運であった。とはいえ、この人を追いかけよう、と発憤してその熱を持続させられたその原動力は、果たしてどこから生まれたのか──正直なところいま以てわたくしにはわかっていない。情けない話だが、本当のことである。
 ただ漠然とではあるが、折口信夫という人とその学問に深く潜ってゆくならば、加藤守雄氏を無視することは絶対できない、と本能で察していたためかもしれないね。実際その通りだと思うけれど。

 本稿を擱筆するにあたり、わたくしは角川ソフィア文庫編集部へ提言したい。
 折口信夫本人は勿論、柳田国男を初めとして早川孝太郎、角川源義、と折口信夫に関わりある人の著作を刊行し、また芳賀日出男の民俗写真集を刊行してきた。いずれも本屋で見附けると同時に買い求め、偏愛するかの如く読み耽ってきた。
 それらがどれだけ売れたのか、初版部数をどれだけ売り切ったのか、今後も流通してゆくのか、部外者たる現在のわたくしに知る術はない。
 が、この際である。加藤守雄氏の著作を文庫化しようではないか。
 前述のように書籍化されたなかで氏の名前が載る単行本は9割を架蔵する。また、書籍未収録の文章も対談や書評に始まり、講義目録や芸術祭の審査員報告まで、おそらく氏が書き残したうちの2/3強は手許に複写という形ながら、手許にある。
 『わが師折口信夫』の復刊を核にして、それらをテーマ毎に編集してそれぞれ1冊を割り当てると、そうね、だいたい3冊から4冊ぐらいかしらん。それでも埋もれた折口信夫の弟子の業績を公とし、所縁ある出版社から刊行された著作を氏の墓前にささげるのはけっして無益な行為とは思われないが、如何だろう。
 収録する文章のセレクトは応相談として、それらの編集・校訂に携わり、著作解題だって依頼されれば応えよう。折口信夫から直接教えを受けたなかで、これまでスポットライトの当たる部分に偏りがあり、それが為に本来の業績が隠れて見えなくなってしまっていた、最重要の門弟子の著作をまとめる機会は来ている。
 慶應義塾大学出版局や中央公論新社が動くのも筋だろうけれど、ここは敢えて角川ソフィア文庫編集部に是非、ご一考を。現在も毎月発売される雑誌『短歌』創刊号の編集長を務めた方でもあるのだから。◆

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