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第2716日目 〈ルナン『キリスト教の起源史』への要望。〉 [日々の思い・独り言]

 聖書読書ノートブログの更新中からそれがひとまず終了した今日に至るまで、ルナン著す広範な『キリスト教の起源史』全7巻のうち、第1巻「イエスの生涯」と第3巻「パウロ──伝道のオデッセー』、第4巻『反キリスト』は目的意識の有無にかかわらず手に取り愛読、教えられる点の多い本であります。訳者は忽那錦吾(第1巻のみ上村くにこと共訳)、出版社は人文書院。
 が、残念なことがあるとすれば、それは上述の巻しか日本語訳がないこと、他の巻が日本語で読める日が来るのかどうか、定かではありません。いちど版元である人文書院に質問したところ、現時点で予定はない、てふ返事をもらいました。「ヨハネの黙示録」を読んでいた時分だったと記憶します。
 この大著を読むためにフランス語を学ぶことも、一時は真剣に考えました、が、腰はなかなか上がらず、そのうち読破の情熱も学習の熱意も鎮まってゆき、そうして今日に至っています。まぁ、訳者あとがきによれば、英訳もあるようですが、それが果たして信頼に足る翻訳なのか、わかりません。
 さきほどまで第3巻を読んでいたのですが(パウロがエルサレム教会から異邦人への福音を認められる章まで)、巻を閉じて溜息が出てしまうのは常のこと。溜め息の理由の大きなところは、むろん、第2巻「使徒」が未訳であること。
 フランス語原典ばかりか英訳すら読んだこともないのですが、その第2巻は磔刑から3日目の復活と運命の五旬節から説き起こされて、ステファノ殉教やエルサレム教会の形骸化を語り、パウロ回心をクライマックスとし、第一次宣教旅行の直前で筆が擱かれるのではないか。
 ルナンの執筆態度については、専門家筋から種々の批判があると仄聞しますが、読者の側にしてみればそんなことはどうだってよい。価値を決めるのは学者センセー方や批評家という他人のフンドシで相撲を取るしか能のない連衆ではなく、その書物を手に取り読み耽るエンドユーザーの仕事だ。
 わたくしには、イエスの生涯や原初キリスト教会について書かれたさまざまな書物のなかでルナンの本は、内容はもちろん話の展開や論旨の明確なる点、或いは訳文についてもいちばんわかりやすく、座右に置き続けてその位置を外れることはあるまい一書である。それゆえにこそ、特に用事もないのに何度だって読み返してしまうのでありましょう。
 だからこそ……と残念でならないのです。殊第2巻の未訳なままであることが。
 労は多く、実入りはすくなかろうがここは是非、訳者にも版元にも頑張ってもらって、第2巻の翻訳・刊行を実現していただきたいのであります。第5巻「福音書」以後もお願いして全7巻のつつがなき完結を期待したいところではありますが、いまは第2巻のみ、希望を出しておきます。
 そうそう、岩波文庫にあってときどき復刊された際の売れ残りを書店の棚で見掛ける、ルナン『思い出』上下の新訳・単行本サイズでの刊行も、人文書院にはお願いしたいのですが──やはり難しいだろうか?◆

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