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第2718日目 〈繰り返し読む小説、って、あまり無いかもしれない。〉 [日々の思い・独り言]

 『晩年』をゆっくり、読み直しています。「道化の華」のみのつもりが思い返して、最初の「葉」から蝸牛の歩みで約1週、ようやく「地球図」までページを進めたところ。
 昨日の黄昏刻、寝転がって「地球図」を読んでいたのですが、興奮で沸騰する頭を沈めようと手を伸ばして取ったのが、『ビブリア古書堂の事件手帖』第6巻でした。篠川栞子蔵の『晩年』初版本を巡る事件が新たな展開を見せるに併せて、人物相関が大きく揺れ動いてさざ波を立てたまま巻を閉じる、シリーズ後半最重要の1巻。
 いや、偶然なのですよ。故意にそれを選んだわけでは! なんらかの共鳴現象が起こった、としか言い様がありません。ベッドサイドの小さな棚にぎっしり前後2列、上下2段に仕舞いこんだ文庫の、いちばん手にしやすい場所に、それは位置する。まぁ、『晩年』の興奮鎮めに、と手を伸ばして触れた1冊が『ビブリア』であったのは、うむむ、こうなると偶然ではなくなるか……。
 『晩年』は今回が2度目の読書。『ビブリア古書堂の事件手帖』は巻不問でどれだけの回数、読み返してきたか知れぬ程、近年に刊行された小説のなかでは握玩の一作であります。顧みればわたくしはこれまで、何度となく読み返す小説、というものが殆どありませんでした。これまで読み漁ってきた総数に較べれば、おそらく1/10に満つかどうか、というところでしょう。
 安岡章太郎は何度でも繰り返して読める小説がすくなくなったことを、渡部昇一にぼやいたことがあるそうですが(『知的生活の方法』P53 講談社現代新書 1976,4)、さて、自分は果たしてどうだったかしらん、と考える。
 その数は──何度となく、しかも明確な意思の下に(自覚的に、と換言してよいか)読み返す小説は、すくない。近代から現代の日本人作家、19世紀以後の欧米作家、いずれに於いても「作家単位」で読み返すこともあれば、好きな作家の特定の作品ばかり読み返すこともある。直近の例は勿論、太宰治だがそれ以前、暇にあかせて数週かけて読み返し、読み耽ったのは、ドストエフスキーの『罪と罰』と『悪霊』、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ全作でした……。後者は完全に、渡部昇一いうところの「コウスティング」の読書といえますね。
 すくないながら繰り返し特定の小説を読むのは、初読時に脳天をハンマーで、ガツン! ガツン! ガツン! 、とやられた衝撃の後遺症未だ冷めやらず、当時の法悦を忘れられずにいるためでもありましょう。
 繰り返し同じ小説を読むのは、それが自分にはとても面白い作品だからであります。それが自分にとっての「古典」であり、「名作」に他ならないからであります。
 面白い、とはゲラゲラ笑う類のそれでは当然なく、物語そのものだけでなくその背景、人物造形や会話の妙、それを支える鍛えられた文章を存分に堪能し、それを読むことで得られる感情の揺れ動きや思考の働きを愉しみ、ときには摑まえて簡単な文章にすることを意味する。
 あなたに繰り返し読む小説はありますか。あるなら、繰り返し読むその理由は?◆

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