第2725日目 〈岩木章太郎『新古今殺人草子』を読みました。〉【補筆あり】 [日々の思い・独り言]

 いまはむかし。もうない神奈川県下最大級の床面積を誇った某古書店で、ずっと棚ざらしになったと或る推理小説が、いつからかとても気になり始めた。タイトルにまず惹かれ、主人公の職業に食指を動かされ、トリックとアリバイはともかくダイイング・メッセージの解読には唸らされ、そうしてヒロインのイメージが当時好きだった人を想起させる点と結末が悲恋に終わる(らしい)点が後押しとなって、購入に至ったのだ──と記憶する。
 作者は岩木章太郎、タイトルは『新古今殺人草子』。第6回サントリーミステリー大賞佳作賞(※)に輝いた作品で、1988年11月、文藝春秋刊。帯の惹句を引けば、「書名に隠された意外な秘密//歌人藤原定家の研究家が32冊の本を机上に並べて//密室で殺された。被害者が伝えたかった真実は?//言葉遊びの趣向を凝らした長編推理小説」である。
 当時のわたくしは、研究者を目指して大学院へ進んで……と考えていた頃であったから、そろそろ素通りするも限界という時分にようやく手を出して、立ち読みし始めた(むろん、結末もこっそり覗いてみたが、なにがどうしてこうなったか、まるでわからなかった……幸いなことに!)。
 世のなかには自分の蔵書に加える必要を(理由はともあれ)感じない本と、万難を排してでも迎え入れたくなる本とが、存在する。
 『新古今殺人草子』はまさしく後者で、冒頭に記した種々の要素から、「これはおれが持っていなくてはならない本だ!」と強い所有欲が湧いたのですね。斯くしてまだ20代中葉のわたくしは、紐で縛りあげられていた『ウィアード・テールズ』全5巻別巻1と一緒に本書をレジへ運び、重い荷物もなんのその、ホクホク顔で赤い電車にゆられて帰宅したのであった。
 告白すれば、これまで読み返した回数の多いミステリ小説の1つが、実はこの『新古今殺人草子』である。これよりも多く読み返したミステリって、……ドイル『バスカヴィル家の犬』とクリスティ『そして誰もいなくなった』、赤川次郎『死者の学園祭』と『マリオネットの罠』、ぐらいだ。
 改めて粗筋をご紹介すると、──
 松村万太郎は藤原定家の和歌にこめられた言語遊戯研究の第一人者である。その松村がかつての教え子5人を赤城の別荘へ招いた。新聞記者;本多俊輔、推理作家;唐牛太一、弁護士;不破滋、刑事;四角正義、そうして主人公の大学講師;藤原定夫である。かれらはめいめい赤城へ赴くが、到着すると松村の孫という浅香繭子に紹介される。実はこの招待、かつての教え子との交流を復活させたい、という他に、藤原を繭子に引き合わせる目的も、松村にはあった。藤原も繭子も、互いに悪い印象を抱くことなく、傍目にもイイ感じの様子。
 別荘滞在の3日目に滞在客のうち藤原を除く4人が自分の仕事に追われて外出したり、自室にこもったりしたが、概ね平和に時間は過ぎていった。そうして4日目の朝、遂に事件は起こった。自室のベッドで本多が殺されていたのだ。喉元へナイフを突き立てられて、殺されたのだ。さっそく群馬県警の捜査が始まり、そこに警視庁の四角も加わる。聞きこみを重ねてゆくと、別荘滞在中に怪しい人影らしき者が目撃されていたり、ぶきみな遠吠えが頻繁に聞こえていたことなどが明らかになる。
 捜査が始まって数日後、松村が旅行に行く、と書き置きを残して姿を消し、不破も顧問弁護士をしている会社の問題で、強引にアメリカへ渡る。やがて地下の巨大書庫で松村が息絶えているのが発見される。机の上には32冊の本が、一見なんの脈絡もなく並べられている。が、じつはこれが松村の残したダイイング・メッセージであった。これは、並べ替えると一首の短歌になるのだ。
 定家の言語遊戯研究を専門にしていた松村は、同じ研究者の道を歩んだ藤原に向けて、架蔵する本のタイトルで犯人を指摘していたのだ。が、実はこのメッセージ、様々な読み方ができるのであった。恩師が残したダイイング・メッセージの解読に取り掛かった藤原はやがて。哀しい真相へ行きあたり、熱い涙を流すことになる……。
──以上。相変わらずな粗筋紹介の下手さには、どうか目を瞑っていただきたい。
 本作の趣向として面白かったのは、藤原定夫の人物造形である。美女を前にすると赤面どころか鼻血を盛大に噴出させてぶっ倒れる、というのには思わず吹き出してしまう。恩師と顔を合わせれば繭子がどんなに色っぽい姿でそばに侍っていようと眼中になく、ひたすら定家の話題に終始するのは、カリカチュアライズされているところはあるが、学究の徒としてひたすら邁進する、いわゆる愛すべき<専門バカ>なところも良い。それでいて学生たちのコンパや飲みの席には誘われて談論風発、「説き来たり説き去ってとどまるところを知らない」(P4)のだから、憎らしい。そうして、藤原とヒロインの間に流れる仄かな情愛の、きめ細かなその描写には、読んでいる最中ずっと胸を焦がされましたよ。ちなみに、かれがミミズののたくったような字で書き綴る日記の題は、『明月記』ならぬ『酔月記』であった。
 そんなかれだが、酒をいったん呑んで酔いが一定ラインを越えると途端、灰色の脳細胞の働きが活発になるのだ。今回も迷宮入りしかけた事件の真相を喝破し、それをカセットテープに録音して素面の藤原に聞かせる場面は、本書のクライマックスというてよかろう。
 ただ哀しきは、それをたまたま立ち聞きしてしまった真犯人が逃亡し、自首したあとかれに宛てて書いた自白の手紙。その内容をここで述べるわけにはいかないが、「お前も、ずいぶん惚れ込まれたもんだ」という登場人物の台詞が生々しく感じられてならぬことである。
 これまでそれなりの数の国内ミステリを読んできたつもりだが、本書に見られるような巧妙かつ遊戯的ダイイング・メッセージが他にあることを、不勉強のわたくしは知らない。
 古典文学を専攻していれば定家の和歌へ潜む言語遊戯性に触れる機会あるけれど、また古典和歌を読んでいると如何に言語遊戯が歌人の素養の一つになっていたかを窺い知ることができるけれど、それは歌人たちが自分の歌を詠むにあたって、「ああでもない、こうでもない」と頭をひねりながら作りあげてゆく創作行為なので、言葉選びの自由度は高い。
 が、松村が残したダイイング・メッセージは既成の書物のタイトルで作られたものである。しかも同じ書物を使って、それを並べ替えることで幾通りものダイイング・メッセージが浮かびあがる、という代物。ちょっとやそっとでは思いつけない、芸術的なダイイング・メッセージである。わたくしがいちばん感心したところはやはりこの部分で、読む度毎に自分の蔵書を眺め渡し、思い出してつらつらこの手のメッセージを作りあげてみようと試みるも、そのたびに挫折している。
 著者もよくこのダイイング・メッセージを考えついたものだ。おそらくこの部分が先に成立して、ここへ至る展開をまとめていったのであろうか。ときどきミステリ小説を書こうかな、と思うけれど、本書以上の衝撃と感動と狡猾さを備えたダイイング・メッセージは、とてもではないが思い浮かばない。
 著者の岩木章太郎は本書刊行当時、読売新聞の記者であった。本書でも新聞記者の生態や警察の動向など、仕事を通して培った知識と経験が活かされているのだろう。岩木章太郎は本書のあと、『捜査一課が敗けた』(立風ノベルス 1989,11)と『「曽根崎心中」連続殺人』(同 1991,3)を発表。この2作は未読だが、機会あらば読んでみたいと思うている。
 ちかごろ講談社文庫が「夏ミス2019 ミステリー作家&編集部が選ぶ推しミス」フェアを実施して、都筑道夫や土屋隆夫、仁木悦子の諸作を埋没から掬いあげて21世紀の読者を喜ばせた。文藝春秋もミステリにこだわらなくて構わぬから、いちども文庫化されたいない作品や疾うに品切れ・絶版となり入手困難となった作品を、文春文庫で読めるようなフェアを実施してくれないかな。岡松和夫『断弦』や小川国夫『ハシッシ・ギャング』と一緒に、岩木章太郎『新古今殺人草子』が読めるようになったら、とってもうれしい。◆

※サントリーミステリー大賞は1983年から2003年まで実施された。賞金1,200万円という、当時は勿論現在に於いても破格の金額も注目された。黒川博行や由良三郎などを輩出し、第6回以後も横山秀夫や伊坂幸太郎、五十嵐貴久らが受賞している。岩木と同じ第6回、樋口有介が『ぼくと、ぼくらの夏』で読者賞を受賞した。□

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