第2779日目 〈初めてのハヤカワ文庫:デイヴィッド・ビショフ『ウォー・ゲーム』。〉 [日々の思い・独り言]

 BSで放送されて録画してあった映画『シャイニング』を久しぶりに観た。勿論、続編『ドクター・スリープ』公開にあわせての放送だが、観ながら思い出しました、はじめて買ったスティーヴン・キングの単行本は、この『シャイニング』であったことを。
 パシフィカから出版された上下巻で、カバー・アートは映画の場面をあしらったヴァージョン。これ以前にほんの短い期間流通した、たしかイラストのジャケット・カバーがあったけれど、本気で捜すことなくいまに至っている。1980年代後半の文春文庫版は、訳者の深町眞理子がパシフィカ版の訳文に手を加えて復刊されたもの。
 「はじめて買った」というつながりでもう1つ、思い出したことが。いま自分の手許には、はじめて買ったハヤカワ文庫があるではないか、と。これも例によってダンボール箱のなかから発掘した1冊だが懐かしくなって、映画を観るまでの間、青色申告会から帰って昨年分の修正申告の作成と総括集計表を記入したあと、ソファを占領してあちこち拾い読みしていたのだ。
 これはもしかすると、はじめて買った翻訳小説でもあったか。──購入直前に映画館に連れていってもらって観た映画のノヴェライズであることも手伝って、読んでみようという気になったのだろうね。その小説の──
 ──タイトルを『ウォー・ゲーム』という。著者はデイヴィッド・ビショフ、訳者は田村義進。この著者を知っているか? わたくしは知らない。調べてみると、アメリカのSF作家でテレヴィ作品にも多くかかわった人である由。幾つかの翻訳もあるらしい。著作リストのなかにはラヴクラフトやディック、トールキンの名を冠した著書もあった。現物を手にしたことはなく、正直なところ検索してみる気にもなれなかった。理由はどうあれ。
 ところでこの映画を御存知の方が、どれだけおられるだろう。マシュー・プロデリック主演の、知らず北米防空司令部の軍事コンピューターにハッキングしてしまい、世界全面核戦争のカウント・ダウンが始まる……という、内容としては今日でもじゅうぶん通用するであろう映画だ。当時はこのような、来たる時代の風潮を巧みに予想して、うまくフィクションへ仕立てた映画や小説が多かったように記憶する。この『ウォー・ゲーム』もそのうちの1作というてよい。
 何年振りか(もしかすると、10数年振りかも)で開いた文庫のページは往時の白さを失い、まぁ全体的に良い感じの色合いに風化し、それでも本体のコンディションは並よりもやや上、というところかしらね。
 ただなぁ……これあってこそ、初期の蔵書の証しといえるのかもしれないが、カバーは裏表紙にダメージが非道く、破れたあとを補修しているのだが、じつは補修に使ったのがセロテープなんだよね。それがどうしたのか、と訊ねる方もあろうから説明しておくと、セロテープは変色し、粘着剤が熔けてべとついている箇所もある。奥付のページにその跡が移り、まるで害はないのだけれど、ちょっと知らない人なら触るを躊躇するだろうな、という程度には障りがあるかな、と思う。
 でも、わたくしはこれを随分と熱心に読んだことを、はっきり覚えている。中学生のときに買った1冊だが、まだ自分には未知の代物であったコンピューターの万能振りをよく伝える読み物で(だって学校の成績を改竄したり、国内の企業に片っ端からアクセスして企業情報を盗み出したりしているのだよ、マシュー扮する引きこもり系オタク高校生はっ!?)、主人公がゲームを開発したり、正体不明のプログラムについて大学生と相談したり、かれの部屋の様子に痺れるものを感じたりしたんだよな。そう、国木田花丸ではないが、「未来ずらぁ」だよ、まさしく。
 なによりもこの小説がわたくしに及ぼしたいちばんの影響がなにか、と問われれば、答えざるを得ない──現存するいちばん古い自作小説は、あきらかに『ウォー・ゲーム』の影響を受けている。思い出すままに粗筋を書くと、──
 コンピューター好きの中学生男子が或るとき防衛省(当時は防衛庁)のコンピューターにハッキングして機密情報へアクセスしてしまう。それを突き止められてかれは当局に拉致されて、まぁいろいろあってアメリカに渡り、防衛省の機密プログラムの開発者と共に新たな作業に携わる。その数年後、それを終えたかれの許に、かつての恋人が訪れてハッピーエンドという、拙いにも程がある短編だ。
 そも当局ってなんだ、どうしていきなり舞台がアメリカに飛ぶのか、など様々な疑問が、こうして粗筋を書いていても頭のなかで乱舞しているけれど、これは間違いなく、わたくしがはじめて書いた、と宣言できる小説である。映画のパンフレットへ載る粗筋に毛が生えたぐらいの代物でしかないけれど、これは間違いなくわたくしがはじめて、書くことを愉しみ、物語を生み出す喜びを感じた小説である。
 お小遣いで買ったはじめての翻訳小説、初ハヤカワ文庫、殆ど処女作に近い小説のモデル(たぶんこの言葉は正確ではない)という、幾つかの点で、『ウォー・ゲーム』はわたくしにとって思い出深く、今後どれだけボロボロになったとしても握玩の1冊であり続ける。
 とはいえ、裏表紙のダメージについては対処の必要があろう。パラフィン紙1枚、死蔵の文庫から剥ぎ取って『ウォー・ゲーム』に纏わせようかな。どう思う?◆

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