第2781日目 〈鏡花の花柳小説が大好きです。〉 [日々の思い・独り言]

 澁澤龍彦が生前に温めていた企画、『泉鏡花セレクション』全4巻が今年10月から、3ヶ月毎に配本開始(国書刊行会)。八重洲ブックセンターでもらってきた内容見本を眺めているのですが、総ルビ旧仮名遣いなのは良しとして、新字体なのかぁ、と残念に思う一方で、1980年代後半から顕在化していつしか市民権を獲得、いまや鏡花といえばこれ、といわれてまるで他のジャンルの小説が存在しないかのような扱われ方をしているのが、幻想文学に属する小説・戯曲群である。
 三島・澁澤ラインが称揚し続けて幾つかの代表作が顧みられるようになったのに加えて、様々な偶然と時代の必然が作用して気運が高まりつつあった状況を承けて、東雅夫大兄が<幻想文学者・泉鏡花>宣教を繰り返し続けた結果、どこの出版社でも鏡花の幻想文学は出せば或る程度までの数字を見込める商品と相成った。
 代表作といわれる作品に加えて、全集を繙かねば読めなかったような小品の数々まで、手軽に読めるようになった現在の状況は、鏡花好きの一人であるわたくしとしても非常にうれしく、また一過性に終わるかと思われたブームが定着し、人々の意識から忘れかけていた(大学の卒業論文のタネにもならぬぐらいには等閑視されていた)ジャンルの復興に尽力した多くの方々へ敬意を表して止まぬ者だ。
 けれども──あまりに「鏡花=幻想文学」の図式は先鋭化し、従来の鏡花像を覆して他ジャンルが顧みられなくなる程巨大なものになり過ぎてしまった。高校生の時分から鏡花の怪異・幻想物に親しんできたと雖も、それを踏み台にして花柳物や人情物にまで手を出して却ってそちらの方に好きな作品が多くなった者としては、当たり前のように定着してしまった固定観念の横行に、小首を傾げてしまう。
 鏡花の場合、花柳界や伝統芸能の世界に幻想・怪異を侵入させた小説に絶品があるのは、『註文帳』と『歌行燈』が証明している。『註文帳』は遊女の怨霊が由来の剃刀に憑いた話だから、幻想小説好きの鏡花ファンなら読んでいて然るべきだが、では『歌行燈』は? 『註文帳』程に露骨でない分、その気になれば作品の地下に流れる暗い水流の存在にさしたる注意を払うことないまま読了してしまうことだってできるわけだが、それだけに鏡花の工芸品の如き非の打ち所ない完全無欠の文章へ巧みに塗りこまれた、登場人物たちの背後に寄り添って離れようとしないわけのわからぬ不気味さに、体を、ぶる、と震わせるだろう。
 とはいえ、である。鏡花の数多ある小説から重要なジャンルの一つである花柳小説などにも親しんでくれる人があるとうれしいな、と切に思うのだ。前述の『註文帳』は岩波文庫で読めるが、そこに併録された『白鷺』は、別に文庫袖の惹句に乗っかるつもりはないものの、鏡花著す花柳小説の白眉と断言したってよい作品だ。一時はこればかり読んで他の鏡花小説を相当軽んじたっけ。同じ鏡花マニアの知己にその魅力を語り、口角泡を飛ばしたことも、ある。此度本稿執筆にあたり、摘まみ読みしていたらまたぞろ鏡花の小説を、幻想物以外の小説を読み耽る一刻を持ちたくなった。可能であれば機を見て、これらの感想文など書いて本ブログにてお披露目させていただきましょう。
 それにしても、どうして鏡花の花柳小説がいまは顧みられなくなってしまったのだろう。泉鏡花記念館に寄贈される程クオリティの高いコレクションを築き、現代に在ってはめずらしく鏡花の幻想物に対して冷淡な態度を崩そうとしなかった生田耕作先生は、〈幻想小説〉作家鏡花にお熱な読者をかりに〈幻想坊や〉〈怪奇坊や〉と曰うた。わたくしもご多分に洩れずそのお一人であるが、ただ鏡花の花柳小説やその他義理人情の物語群に、幻想小説を読んでいたときには抱いたことのないような鍾愛を感じ、その世界に深く淫したのだから、先生にはお目こぼし願いたく思うている。
 年端もいかぬガキが花柳小説になんぞ、どうやって入れあげたのか、というお話になると、こちらの口も重くなるのだが、今回は特別にちょっとだけ。要するに、花街色街へ出入りして遊興に耽り、芸者遊びも覚えたのだ。流石に周囲の目があるから総揚げして遊ぶようなことはなかったけれど。気附けばそんな経験が鏡花の描いた花柳の世界へ親しむ決定打となったのかもしれない(勿論、鏡花のみならず荷風や秋江、川崎長太郎を読む際にもこの経験は活きましたねぇ)。それだけにはじめて生田先生の鏡花偏愛の文章のなかに件の一節を見出したときは、まるで同臭の士でも見附けたかのように歓喜驚喜したのだ。
 ちかごろの鏡花論が、牽強付会の説が跳梁跋扈し、あまつさえそれが受容される幻想小説へ傾き、花柳小説が見向きもされていないに等しいのは、偏に<遊び>の経験を欠いた人たちが大手振っていることも影響しているように、わたくしの目には映る。お茶屋遊びぐらいしたことあるよ、と反論してくる方あるやも知れぬが、或る程度深入りしてあの世界の女性たちと懇ろになったり手玉に取られたり、お金をずぼずぼ持ってゆかれるなんていう苦い思いの一度や二度なくして、<遊んだ>と、果たして本当にいえるのかな、とは疑問に思うておる。
 むろん、鏡花の花柳小説を味わうためにそんな遊びをする必要はこれっぽっちも、ない。ただわたくしはそうした経験があったからこそ贔屓の引き倒しというていいぐらい耽読鍾愛するまでに至ったのだ、というだけの話。そうして、たまには幻想小説から離れて鏡花の花柳小説をじっくり読んでみませんか、とお誘いしたいだけのこと。◆

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