第2782日目 〈そういえば、「岩波文庫の100冊」なんて企画を企んでいたね。〉 [日々の思い・独り言]

 本について語り合える殆ど唯一となった、リアルの友人(なんだか奇異な表現だね)と電話で話していた折。ふと話が途切れたあとにかれがいうには、そういえば岩波文庫の100冊ってどうなったの? と。
 なんだ、それは? 逆に訊ねたわたくしの耳に、かれの深い溜め息が聞こえてきた。岩波文庫の100冊、だって? 夏になると大手文庫出版社がこぞって始める、お抱え作家の依怙贔屓じみたあの空疎なラインナップの岩波文庫ヴァージョンか?
 ならば思い出せてあげよう。そう前置きして、かれが朗読し始めたのは、かつてわたくしが本ブログに投稿したエッセイの一節であった──。
 顔が赤くなるのを感じました。いや、頬が火照って顔全体が紅潮してゆく。脳内が落ち着きをなくし、口は開けど言葉が出て来ない……。いやぁ、こんなフィクションでお馴染みの反応を人間は現実にもするのですね。斯様な企画をぶったこと、本当に忘れていたのです。
 電話を終えたあと、夜も深更に至る時刻であるにもかかわらず寝る気にならず、Macを立ちあげてフォルダにしまったブログ用原稿を検めて……こんなことを書いていたのかぁ、とわれながら呆れてしまいました。
 そうして翌る日の昼、確定申告の準備へ取り掛かる前に確認できる範囲で、架蔵の岩波文庫を点検してみる。合点がいった、まるでさも簡単にリストが作成できるような、楽観的な物言いに。この方法を採れば、たしかに労せずしてリストはできあがるわ、と。
 ただ、そのときにどう結論を下したのか、それとも留保中なのか、よくわからない(というか、覚えていない)のだけれど、1人1冊にするのか、上限を決めてそのなかであれば何冊選んでもいい、とするのか。かりに留保中とすればいま、この時点でのわたくしの判断が優先されるわけだから、結論はまだ出ていない、ということにしよう。どこにもその記録がない以上、斯く判断して差し支えあるまい。
 というわけで、この件に関しては、1人上限3冊までとしましょう。3冊の根拠は特にない、日本人は「3」という数字が好きだよね、おいらも好きだ、というだけのこと。
 これにより、緑帯と赤帯(就中イギリス・ドイツ・フランス・ロシア文学)はセレクトの作業に、想定した程は考えこまなくても済むのであるまいか。どんな作家であっても、リストへ入れるぐらい愛読している、または握玩する作品なぞ、あろうわけがない。すくなくとも今回リストを作成するわたくしは、そうなのであります。
 ──点検ついでに表紙と背表紙を撮影してみたが、それを一見するにいちばん最初のリストは100冊を簡単に超えることでありましょう。そこから絞りこんでゆく作業に頭を悩ませるところは新潮文庫のときと同じですが、1人上限3冊というゆるめた制約がそれを、幾らか軽減してくれるに相違ない。期待をこめて、そう自らにいい聞かせよう。
 これというのも、岩波文庫に入る2冊の近松秋江をリストに入れたいがための我が儘である。秋江は講談社文芸文庫で読む方がいまは簡単だが、このリストはいま手に入る岩波文庫のリストではないのだ。でなければ、十一谷義三郎が三宅幾三郎と共訳したラフカディオ・ヘルン『東西文学評論』を持ってくる大義名分もなくなってしまうではありませんか。
 ……あれ、ハーンが3冊を超えてしまう予感がするよ。平井呈一の訳で『怪談』と『心』、『東の国から』を選ぶつもりだったのだけれど、このままだと4冊になってしまうね。んんん、やはりここでも絞りこみに頭を悩ませることになるのか。やれやれ。◆

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