第2783日目 〈本を読むのが遅いのだけれど、気にしてなんかいないよ。〉 [日々の思い・独り言]

 本を読むのが遅くってねぇ、呆れてみたり自嘲してみたり、時間の捻出に悩んでみたり励んでみたり。
 例。太宰治『晩年』、どれだけの時間を掛けた? 「道化の華」を中途で止した1回目ではなく、『地図』のあとの2回目。すこぶる多くの日を費やしたのではなかったか。顧みる;実際に読んでいた日<何だ彼だで読めなかった/読まなかった日。愚にもつかぬ式である。とはいえ、それゆえにこそ、『二十世紀旗手』と併せて3冊、続けて読むと宜しかろ、といえるようにもなった。
 例。聖書、人生の何分の一をささげた? 一書につき原則1日1章、足掛け8年実質7年。一書読み終わりたれば少々のインターヴァルを置いた。「エレミヤ書」の途中で1年近く、読むのを止めてもいる。続編の「一マカ」と「エズ・ラ」には遺恨あり、けっきょく読書は未だ続行中。完全読了まであとどれぐらい、なんて質問はなしにしてほしい。わたくしも知らぬがゆゑに。
 例。松本清張『西郷札』、もう2週間ぐらい枕許にあるのでは? 就眠儀式。寝る前に1編ずつ読んでゆこう。これの前に読んだ『或る「小倉日記」伝』の経験を基に、斯く決めた。が、この短編集に代わってからこの方、就寝前の読書はまるで停滞している。なんのことはない、他のことにかかずらってそれが終われば寝床へ直行、バタンキューなのである。
 ──嗚呼、遅読の実例を臆面もなく曝した。むろん、ゆっくり読むこと、スキマ時間の読書をばかり実践しているわけではない。先日のこと、争続と確定申告に頭を悩ませていた時分である。かねてよりの宿願と一寸した必要あって谷崎潤一郎の『細雪』と『新々訳 源氏物語』を2日掛けて読み返した(何度目だね?)。わたくしにはこれ、じゅうぶん速いペースなのだ。
 毎日継続される読書なのか、一過的な、或いはすこしく腰を据えてかからねばならぬ読書なのか。要するに、「ケース・バイ・ケース」である。「事情と都合にあわせて柔軟に、臨機応変に対応できる読書スタイルであるべし」というところかしらん。
 もはや、エミール・ファゲの時代ではないのである。◆

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