第2790日目 〈みくら徒然草 いろんなこと。〉 [日々の思い・独り言]

○岩波文庫の発掘や荷風全集の購入、秋江著作集の読み返し、などなど種々の要因あったがゆえと思われますが、今朝方ふと、近代日本愛欲小説史の構想を得て昼間、手帳におおよそのプランを走り書きした。
 既にどこかで誰かが着手、上梓もされているだろうことは承知だ。とはいえ、こちらにもそれなりに塗れた過去もあるので、そんな経験を足掛かりに、好きで読み散らしてきたこの種の小説を、自分なりに体系づけてみようかな、と思うたのであります。
 問題はどこで境界線を引くか。これが難しい。まぁ、ゆるりゆるり、と考えてゆきましょう。

○清水幾太郎『わが人生の断片』上下(文藝春秋 昭和50/1975年6−7月)を拾い読みしています。神保町の古書店の見切り棚で安く買いこみ、そのまま錦華小学校裏の公園でおにぎりをぱくつきながら、読書した思い出がよみがえってきます。
 この人の名前をどのような経緯で知ったか忘却したけれど、例によって渡部昇一の著書から発展したのではなかったか。脳裏に留まる名前であったため、見切り棚でそれを揃いで見附けるや迷いなく、嬉々としてレジの親父の前に持っていった覚えが、あります。
 本書以外にも1冊、架蔵するものがあったと思うが、記憶の誤りか処分したか、どちらかかもしれない。その本は『この歳月』(中央公論社)のはずなのだが……函入りだったよな、たしか。
 清水は社会学の泰斗にしてオーギュスト・コント研究の第一人者。本書のあちこちにも、それらにまつわる話題が散見されますが、今回10数年ぶりに読み返すに至るまでずっと覚えていたエピソードが、──
 ロシア語を学ぶ必要がある、と考えた清水はロシア語講習会に通ったがテキストの偏重に厭気がさして行くのを止してしまったこと。講習会参加が仇になって後日刑事に出頭を命じられたこと。ナウカ書店を介して『ソヴィエト小百科辞典』を購入して社会学に関する項目を、露独辞典と文法書を頼りに読んだが、けっきょくかの国に社会学というものは存在し得ない概念なのだ、と落胆したこと。──この昭和6年のエピソードが自分と印象に残っていたことを覚えている。
 通読したのは正直なところ、はじめの1回だけなので、発掘再会をきっかけに是非にも読み通してみたいと望むうちの1冊であります。

○今日このような変則的なスタイルを採ったのは、ちと明日の朝は早く出掛けねばならない用事が出来したからです。
 いやぁ、原稿料と印税が踏み倒されましてねぇ……。その仕事を紹介してもらった編集プロダクションに問い合わせたところ、なんでもクライアントがバックレたらしい。
 編プロの被害も大きかろうが、こちらの被害も大きい。それをアテにして年末年始の支払いやら私的用事の予定を立てていたところがあるゆえ、すっかり頭を抱えている次第。
 あすはその件で編集プロダクションを訪ね、その足で知り合いの弁護士に相談してくるつもりです。

○──という次第で読者諸兄よ、今日はここまで! おやすみなさい。◆

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