第2797日目 〈Twitterの義理「いいね!」、やめませんか?〉 [日々の思い・独り言]

 表題の通りですが、下記に補足を。補足という割には長いけれど。
 未フォローの人のツイートも、タイムラインには流れてくる。フォロワーがリツイート或いは「いいね!」するので、1日放置するとけっこうな量のツイートがTLを占めている。まぁ、どんだけ大量の人がTwitterを使用しているか、証明している事象といえましょう。
 では、本題。
 TLで見掛けたツイートになにかしらのリアクションをすると、遅かれ早かれその人から、こちらが投稿したものに対して「いいね!」が来る。嬉しいといえば嬉しい。
 が、それが最新の投稿或いは固定されたツイートに対しての「いいね!」なので、「ツイートへ反応してくれたお礼に、こちらの投稿のうちいちばん上にあるツイートに「いいね!」してくれた(だけ)のだな」と、淋しいとも侘しいとも、もしくは嘆きとも受け取れる溜め息を吐くのが常である。その投稿についての興味ゆえ「いいね!」したのではないのは、はっきりしているから。
 営業ならともかく、たいして気にも留めていないツイートへリアクションするのは、どうしてだ。 相手のタイムライン遡るのが面倒だから、目についたいちばん上の投稿に反応返しているだけでしょ? はたして胸を張って「否」といえる人が、どれだけいるか。
 要するに、あなたのそれって義理の「いいね!」だよね。
 その行動を促す衝動は、なにに起因するのか。せっかく「いいね!」してくれたのだから、あなたのツイートにもなにかしらの対応を示すのが誠意だと思ってます、と? それは違う。誠意でもなんでもない。ただの演出だ。
 さっぱりわけがわからない。わたくしは義理で「いいね!」したことがいちどもない。それともTwitter界隈で斯様な<義理>は、常識であったのか?
 フォローしている人からの「いいね!」、本当に読んでくれた未知の方からの「いいね!」、これは本心から嬉しい。やった、と意味もなく拳を握りしめて、ガッツ・ポーズしたくなる。後者の場合、それが契機でフォローしてくださる方が多数なので、なおさら嬉しい。でも、明らかにわかる義理の「いいね!」となれば、話は別だ。
 わたくしの「いいね!」基準は、こうだ。読書アカウントの場合は、自分も読んで気にかけた本、作家を取り挙げていれば、投稿内容を読んだ上で「いいね!」する。読書アカウント以外でも、殆ど基準は変わらない。関心ある内容、興味ある内容、大いに首肯できる内容、ちょっと心があたたかくなる内容、あまりに痛ましき出来事へ触れたツイート、リツイートすることでより多くの人の目に触れることを願うツイート、などなど。こうしたこと以外で「いいね!」したり、リツイートしたりしていたら、それは懸賞絡みの内容でありますな。
 フォロワーさんが10,000人を超えました! 今日中に10,000人超え目指したいのでご協力お願いします! ──こうした報告宣伝ツイートを見るたび、フォロワーの数を無尽蔵に増やしてなにを目指しているんだろう、と疑問に思う。
 どれだけフォロワー数が多くても、過半が幽霊ではねぇ。唯一有益であるのは、自分のツイートがよりたくさんの人の目に触れる、という点でのみでしょうな。呵々。
 ちょっとあなたの義理「いいね!」、その行為を考え直してみては?◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。