第2821日目 〈令和2年の読書予定。〉 [日々の思い・独り言]

 床に積みあげられた本の山を見ていたら空しうなったので、これから如何に読書を続けてゆくべきかを考えた。まず、今年は読書を中断してしまった作家たちの、残務整理を第一に心掛けよう。
 これまで〈読書マラソン〉と称して幾人かの作家を集中的に読むようしてきたが、最初の1冊から最後の1冊まで滞りなくプロジェクトを完遂できたのは誰もいない(と記憶する)。これではいけない。一念発起して昨年から、中断して抛り投げていた作家の1人、太宰治を読み始めたわけだが、こちらはゆるゆると、勝手気儘に読み続けて年が改まった数日前から『津軽通信』をかばんのなかに潜ませて、折節開いてすこしずつページを繰っている。
 太宰に関しては既にここでも延べたように、未読の4冊(以前3冊と書いたが、あのあと棚を見たら違っていた)を年度内に読了させることができそう。悦ばしき也。愉しきこと也。前述の1冊以外に未読で済ませている太宰の文庫は、いずれも新潮文庫で『きりぎりす』『新ハムレット』『グッド・バイ』。書簡集や身内知己による回想録や評論もあるが、こちらは手に入れるたび読んでいたので、数に入れる必要はない。筑摩書房版全集を手に入れたら再読することだってあるやもしれぬが、いまはその杞憂も無用である。なぜなら、そこに投じるお金を用意していないからだ。呵々。
 新年度からは、宿願のドストエフスキーである。上巻の2/3で読むのを止めた『未成年』、学生時代に力任せで読んだきりな『カラマーゾフの兄弟』。この2作を読んでしまったら、講談社文芸文庫の短編集は「いつかそのうち」で構わぬ。急いて読むものではないと思うている。が、福武文庫の米川正夫訳『ドストエフスキー前期短編集』と『ドストエフスキー後期短編集』は、是が非にもこのツィクルスで読んでおかないと、おそらく読む機会を逸してそのままになってしまうだろうから、こちらも今回の〈第二次ドストエフスキー読書マラソン〉の予定書目にリスト・アップ。ちくま文庫から出ていた『作家の日記』全6巻は悩ましいが、これを丸ごかしに読むことはおそらくないだろう。第一次マラソンの際、本気で小沼文彦個人訳筑摩書房版全集を買いこむか、図書館で借りることを考えたが、そのときの情熱はもはや燠火である。
 さて、ここまでは既に決まっていたこと。太宰の次はドストエフスキー、あらかじめ決まっていた既定路線であった。そうしてわたくしは冒頭で、今年は途中で読むのを止めていた作家の残務整理の年にする旨宣言した。そこでクローズ・アップされてくるのは、やはり過去に集中してその作家ばかり読み始めたのはいいけれど、途中で息切れ乃至は憑きが落ちたように遠ざかってしまった何人かの作家たちである。
 綾辻行人と横溝正史、江戸川乱歩、以上日本人作家の部。全員ミステリ作家なのは、偶然だろうか。勿論偶然だ。外国人作家となると、こちらは多士済々ですよ。別のいい方をすれば、わたくしの浮気症がもっとも発揮されたのは、こちらかもしれない。でもいちいちを挙げていたらキリがないので、本当に未読の作品すべてを消化したい偏愛の人だけを、ここでは。アガサ・クリスティ、P.G.ウッドハウス、スティーヴン・キング、……おや、これだけだ。
 人数は同じ3人ながら分量は、日本人勢を遙かに上回る。未読の作品数が多いのも事実だが、それ以上に1作品の分量が桁違い。殊にキング! 正直なところ、ここ10数年に刊行されたうち、発売早々さっそく読み耽って巻を閉じた作品って、片手で数えられる程度だ。読み残し、積み残しが嵩んでいまの惨状に至る。自業自得というべきか? 否、聖書読書を最優先した結果である。これは君、本当のことなんだよ。
 本音をいえば、晩夏の候より横溝、綾辻、乱歩と行って、今年はクリスティで〆括られればいいな、と考えています。そのクリスティにしても従前のハヤカワ・ミステリ文庫で再開するか、新規にクリスティ文庫版で都度買い直して読んでゆくか、頭の悩ませどころなのだが……愉しいね。◆

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