第2832日目1/2 〈封印している本。〉 [日々の思い・独り言]

 残念ながらわが書架に『ネクロノミコン』や『妖蛆の秘密』のような魔道書は並んでいない。
 架蔵していたら、もしかしたら世界征服を実現できるかもしれないが、払われる代償はあまりに大きすぎ、正直なところ、対価にまるで見合っていないと考える。ゆえに所持せぬが正解。封印されているだけの魔道書なんて、ただの場所塞ぎでしかないのだから。
 ではここでいう「封印されている本」とはなにか、といえば、答えは単純で、即ち読むのを避けて、視界に入れず、意識にも上さぬようにしている本を指して、これなむ「封印本」と呼ぶ。
 今度の日曜日、宅配業者が古本屋へ売却する本を引き取りに来る。それの準備を進めているが、今日はその作業と同時進行する形で、書棚の入れ替えも行った──そうして、嗚呼、ルードヴィヒ・プリン、わたくしは長らく封印していた本を、1冊に限らず何冊も目にして、あまつさえ手にしてぱらぱら目繰ってしまったのだ……。
 まぁ、冗談はさておき、秘めたる願望ゆえに敢えて久しく読むのを止めていた文庫を、書棚の一角に見出して、つい、ふらり、と手にしてしばし読み耽ってしまったのだ、というお話です。
 その封印本とはつまり、旅本なのだ。どこかへ行きたい、てふ治療不可に分類される病に罹って久しく、万一宝くじでも当たったら借金完済した後、あてどない旅に出て数日の孤独を愉しんでくるに相違ない。そんなわたくしが旅本を封印するのは、自重せよ、とわが身わが心にいい聞かせんがための荒療治(チト違うか。まぁ、よい)。
 内田百閒の『阿房列車』シリーズ、宮脇俊三の鉄道紀行、沢木耕太郎の『深夜特急』シリーズ。これが封印本だ。読んだら絶対、旅に出たくなる。お金が自由にならぬ現在ならば、別に読んだって構わないよね、というのは間違いだ。株や債権を売却してお金を作り、そのお金を軍資金に時刻表を眺め、新幹線や飛行機の行き先表示を見あげて、よし行くベ、と切符を買って飄然と故郷を去るに違いない。そんな未来が容易く想像できてしまうから、読むのを避けているのだ。
 ではいつ読むの、という話になると思うけれど、……答えは出せそうにない。1つだけ確実にいえるのは、通勤中に読むのがいちばん危険だな、ってことですか。やれやれ、であります。◆

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