第2834日目 〈”クソ”というなら根拠を示せ。〉 [日々の思い・独り言]

 もう1つのSNSでのこと。読書が趣味で、自称「広範に読み漁り、作家の文章評には一家言を持つ」という人と語らっていた。取り挙げる作家はみな、日本人作家の作品で、ジャンルはミステリ、時代は現代物ばかりである。
 いちどなにかの拍子に、海外の作家や戦前の探偵小説家の作品は読まないのですか、と訊ねたことがある。そこに載せられているのは本の書影と、紹介はあっても裏表紙の粗筋や解説を摘まんでつなげたに過ぎぬ短文。それでも作品のセレクトには一貫した主張のようなものが感じられたので、こちらもちょっと楽しみにしつつかれの投稿を追っていたのだが、ふとした拍子に上述のような訊ねたきことが浮かんだので、ぶつけてみた次第。
 返事に曰く;読まないですよ、なにか読む意味のある作品がありますか、あったら教えてほしいです。文章が大時代的で、風俗も社会習慣も現代とはそぐわないし、登場人物の考え方が古くさくて辛気臭くって、読み通せる作品なんて両手の指使っても余りますよ。ボクには皆、クソに思えているのです。
 ──Amazonのレヴュー欄を読んでいる錯覚に陥りました。
 では、かれのいう「クソ」とはなにか。要するに、自分に合うものは可、合わぬは否、というところか。自ら感性の器を広げるのを怠った挙げ句の自白と、わたくしの目には映った。「愚か」と申しあげるつもりはない。それもまた1つの生き方である。但し、なんと淋しく、哀しい生き方であることか、とは思うけれど。
 むろん、かれが過去に浴びるほど国内外のクラシックスに触れて読み倒し、該博な知識とそれらへの理性的な「一家言」を持った上で、食傷気味となったそれらに三行半をつきつける気持ちで斯様にいうたのならば、こちらも深く首肯してかれの新しい投稿を心待ちにするところだが、そうではないのである。
 その後、かれとのやり取りや投稿を目にする度毎に、件の返事は別に自らの衒学や蓄積を戒めるための方便などではなく、本当に「そのまんま」の意味であったことを知ってしまった。なんと正直かつ肝の坐った人であることか。
 また別の機会に曰く;その作家については、あれも読んだ、これも読んだ、どれも駄目、文章がクソ。買って読むに値せず。お金をドブに棄てるようなもの。此奴の作品を出す出版社も出版社なら、喜んで受け容れるファンもファン。
 ──呆れてしまいました。悪口雑言をまき散らすのは、幼稚園に入る前のお子様方にもできること。文章を書く人なら誰でもご経験あり、ご存知と思うが、文章は人の感情を暴走させるのである。それに悪口というもの、単語を並べれば或る程度の形は整うから、いちばん簡単な「期待を裏切られた」、「自分とは肌が合わなかった」ことを表明する手段なのだ。いみじくも読書家であり、作家の文章評に一家言を持つ、と自称するならば、このあたりのことはわかっていて良さそうなものであるが、どうやらこちらの「期待は裏切られた」らしい。
 これを言外に申しあげたらその御仁、SNSでこちらへのネガティヴ・キャンペーンを図ったようで、知己の人がそれを知らせて運営に報告、さっそくアカウント凍結の憂き目に遭ったと聞く。
 しかし、そうなる前に是非にも貴方には、「クソ」の根拠を示していただきたかった。残念である。◆

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