第2838日目 〈太宰治『津軽通信』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 読了して1週間。残るべきは残り、潰えるものは潰えた、という思いがする──太宰治『津軽通院』(新潮文庫)の記憶のことだ。
 <第二次太宰治読書マラソン>の要ともキモとも思わず、ただ以前のマラソンで読み残していたから、今回のリストへ入っていたに過ぎない1冊だったのに、現在はこのタイミングで読んでしまったことを心底後悔している。あまりに面白かったから。太宰の天賦の才能を見せつけられる思いがしたから。これ程に太宰の文章力に感嘆させられる作品集も、そうなかったから。短編小説の見本市とでもいうべきバラエティ豊かな1冊だったから。──うん、最後に予定している『グッド・バイ』の前かあとに読めばよかったよ。
 好きな作品ばかり、というてもけっして嘘ではない『津軽通信』。そのなかから、これは……! と思う作品を挙げると、「やんぬる哉」「未帰還の友に」「犯人」「酒の追憶」「座興に非ず」あたりになる。そのうちでも殊、記憶にこびりついて離れそうにないのが、前のうちの始めの3編。
 一言二言で感想を述べるなら、──
 「やんぬる哉」は、着の身着のまま、所持品というもの殆どなく焼け野原となった東京から逃げ出してきた疎開者と、腹に一物たくわえてかれらの言動に難クセつける陰湿な田舎人衆のまじわりが地方の閉鎖性を剥き出しにしている。この部分はいわば話中話なのだけれど、本編の語り手もまた生まれ故郷に疎開してきた人であり、件の話を語って聞かせるのは、かれの中学時代の同級で遊んだ記憶のあまりない、町の病院に勤める医師である。
 そうしてこの医師が無邪気ながらも残酷に、執拗に、語り手の空襲体験を話して聞かせろ、とせがむのだ。人の、無自覚な浅ましさと下卑た様を描いて見事というか、醜さを暴いて猥雑というか。さんざん放蕩と新聞沙汰の事件を重ねた太宰が、家族を連れて金木へ疎開しているときの経験が影を落としていよう(太宰が一家を引き連れての疎開は、けっして「放蕩息子の帰還」なんて収まりの良いものではなかったはずだ)。そういえば、田舎人と移住者の構造は、先に「新釈諸国噺」中の「吉野山」にも見られた。あちらは西鶴という原作のためか、ユーモア小説として読めたが、こちらはもっと生々しく、エゴ剥き出しの関係である。
 「未帰還の友に」は、出征した馴染みの友との思い出を語り、内地で過ごす最後の夜の交情を惻惻と綴った作品だ。戦後に発表された諸編のうち<もの哀しさ><余韻の静けさ>という点では何物にも優っている。
 わずかの時間であっても相手を楽しませよう、逃れられぬ憂き事を忘れさせられるよう努めよう、相手のためならばどんな無茶でもしてみせよう。そんな太宰のホスピタリティ精神が伝わってくる。これはもう、サーヴィス精神の発揮というよりも、おもてなしの心である。同じ時期に華々しく復権を報じられた荷風からは、断じて期待できぬ他者への寄り添いの姿だ。
 「未帰還の友に」を読んでいると気のせいか、また感情移入すること過多のためか、太宰の目から零れ落ちる涙を感じてしまう。どんな卑怯な振る舞いをしてでも、友よ、生きて還ってきてくれ。そんな祈りとも願いともつかぬ声を、聞くのである。
 そうして、「犯人」。『津軽通信』のみならず、すくなくとも新潮文庫版太宰治作品集を通じて、異色中の異色。独特の存在感を放つ。安定した職も稼ぎも、蓄えとなるお金もなく、ただ夫婦になりたい恋人だけがある青年が、一瞬の衝動にかられて既に嫁いでいる姉を殺傷、独り逃避行を続けたあと遂に観念して自殺してしまう。
 とてもではないが、小説のなかの出来事と割り切ることができない。青年の心理も行動も、加えてかれが置かれた状況も、わたくしには馴染みあり、もしかすると同じ道を辿っていたかもしれない──身につまされる、といえばそれまでだが、わたくしにはボタン1つ掛け違えただけでじゅうぶんあり得た過去なのだ。身震いがする。心胆寒からしめる小説とは、じつは「犯人」のようなものをいうのではないか。青年が自殺したあと、姉夫婦の様子が報告されるラスト・シーンは、皮肉である。マッケンの『夢の丘』に比してもゆめ劣るものではない。
 ──顧みて、本書に於けるお気に入りは、いずれも戦後に発表された。「やんぬる哉」は「月刊読売」昭和21/1946年3月号、「未帰還の友に」は「潮流」昭和21/1946年5月号、「犯人」は「中央公論」昭和23/1948年1月号に、それぞれ掲載。「やんぬる哉」と「未帰還の友に」は、津軽は金木の生家へ疎開中に、「犯人」は上京して三鷹の家で書かれている。
 細かな心理分析の類はしないけれど、生活の不安や精神の不安定の影は、大なり小なり作品へ反映していよう。この時代の作物程、かれの随筆、また特に書簡を併読しておくと良いものも、わたくしはないと思う。太宰の不安と哀惜、愛惜が露わになっている。
 そうしてもう1つ、嗚呼、と思うのは、「犯人」執筆・発表の時分にはもう、最期を共にする山崎富栄とのまじわりが始まり、ぬかるみへはまりこんでいることだ。即ち、太宰治、本名・津島修治の人生は終わりの時を刻んでいたのである。◆


津軽通信 (新潮文庫)

津軽通信 (新潮文庫)

  • 作者: 太宰 治
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/10
  • メディア: 文庫




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