第2842日目 〈10億円の使い道。〉 [日々の思い・独り言]

 約半月ぶりに新宿で友どちとの食事(と、当然、酒)を楽しんだのですが、会話が途切れた瞬間を狙ったように、後ろの席からこんな問いかけが聞こえてきました。むろん、その卓に坐る人たちはこちらと無関係、そのあとかかわることもなかったのですが、件の質問にはこちらもつい、考えこんでしまったのです。曰く、──
 「10億円あったら、どうする? 使い道を10個あげてくれ。但し、『貯金』という答えはなし。貯金にはiDeCoやNISA、投資積立も含む」
と。
 いちばんありがちな回答である、貯金、が封じられているのが、ミソといえましょう。さて、あなたはどうする?
 しばらく会話らしい会話は、われらの間になかった。口では種々語っていても、胸の内では10億円の使い道について、あれやこれやと思案しているに違いない。貯金が駄目、ということは逆にいえば、10億全額を使い切る勢いで、使途をあげてゆかなくてはならない、ということでもある。
 結論を話せば、お互いに10億円を使い切ることはできず、またその使途も、なんともいえずありふれて、つまらぬものでありました。友どちはともかく、わたくしが答えた内容は以下の通り、──
  1;収益用物件を複数棟(戸)購入する
  2;居住用住宅を購入する(書庫附き)
  3;現在返済中の事業者用ローンを完済する
  4;国内外企業の株式を最低1000株、購入する
  5;外国債券を購入する
  6;難聴者のための支援活動を行うための活動資金にする
  7;がん患者のための支援活動を行うための活動資金にする
  8;火事によって家族や住宅をなくした人たちへの援助活動のための資金とする
  9;特定の市区の長選選挙に出馬する
と、こんな感じでありました。
 10個目はどう考えても、ひねり出すことができませんでした。精々が100万円までの使い道であれば、いろいろ思い浮かぶのですが、もっと大きな額で、となると、難しい質問です。
 
上は常々考えていることをあげたに過ぎませんが、優先順位はこれといって決めていません。また、細かな点を詰めているわけでも、ない。スペースを食うのを喜びながら上を優先順位の高い順番から並べ直すと、こんな風になりましょうか。曰く、──
  1;現在返済中の事業者用ローンを完済する
  2;収益用物件を複数棟(戸)購入する
  3;国内外企業の株式を最低1000株、購入する
  4;国内外の国債社債を購入する
  5;火事によって家族や住宅をなくした人たちへの援助活動のための資金とする
  6;難聴者のための支援活動を行うための活動資金にする
  7;がん患者のための支援活動を行うための活動資金にする
  8;居住用住宅を購入する(書庫附き)
  9;特定の市区の長選選挙に出馬する
と。

 まずはネックになっていることを解決する。これが1番目、なににもまして優先して解決すべき事象ゆえ、ここに置きました。負債をなくさずして、今後の収益活動はあり得ぬでしょう。

 収益用物件については以前から心中密かに企んでいたことを、これを契機と実行したいのであります。元手が大きいのでこれまでは夢にしか考えられなかった新築アパート/マンション1棟を現金購入して、今後の活動の礎としたい。築年数はせめて5年以内が許容範囲かしら。購入してすぐ出口戦略を検討・実行しなくてはならない、というのはちょっとなぁ。
 それでもまだまだ十分に軍資金はある。複数棟というのは、不動産投資を続けてゆくならば、最低でも5棟2戸のオーナーになる、そうして家賃収入、管理費別で1億1,000万円を実現させたいと思い、試算してみた結果を反映させている。但し、これは昨年夏の試算結果なので、現在とは多少の差異が生じるだろう。やむなきことである。いずれにせよ、収益用物件が1つだけ、というのでは、有事の際の補償にはなりますまい。

 3と4、株式と債券はお金の使い道としては当たり前の方法、運用といえましょうため、割愛。

 5,6,7,名目は異なっていてもいずれも活動資金という点では同じ。わたくしはいまから15年程前、自宅を火事で失い、同時に父を亡くしました。まだ父は若く、会社を定年退職して日が浅かった。茫然自失としているときであっても、前に踏み出すために背を押してくれたり、支えてくれたのは、周囲の人たちでした。
 自宅再建、生き残った家族のケアをしてゆく過程で、自分と同じ境遇の人たちがこの国にはたくさんおり、様々な支援活動が行われているのを知りました。が、それは大概事後のことであることが多く、住む場所が決まり、仕事が見附かるまでの当面の生活の支援に関しては、地域の人たちの温情の他には行政を頼りにする以外にありません。
 詳細を述べるのは控えますが、この場合、即応性のある支援機関があればとてもありがたいのです。すくなくともわたくしはその人たちのために、電気ガス水道が整い、あたたかい布団があり、あたたかい風呂に浸かったり洗濯ができたりする、そうしてこれからのことをゆっくり考えられる場所があることは、とてもたいせつなのです。買い物ができるスーパーや郵便局、金融機関、公共の交通機関がそれ程離れていない場所にあれば、残された人たちは当面やらなくてはならないことに専念できます。
 悲しみや苦しみが癒えることは、ない。それはわたくし自身もよく知っています。骨身に染みてわかります。が、衣食住が足りていさえすれば、故人を悼むこともできなければ、生活を立て直すメドすら立たない。最低限の生活が保障されているといないとでは、まるで違うのです。わたくしはそうした人たちのために、セーフティハウスを設け、個人的な生活相談や就業相談、或いはその援助を行いたい。収益用物件の所有は、維持費の確保も含めてその活動のためのベースにもなると思うています。

 わたくしの、これも経験ですが、6と7ですね、自分が病気をしたり、家族が病気になると、働き続けること、就職することの難しくなるケースが、残念ながらあります。自身の通院、或いは家族の通院に付き添う、というのは、往々にして欠勤を意味しますから、上司や面接担当者はけっしていい顔はしない。言葉や表情は親切でも、実際のところは否定的であります。
 そうして大概の場合、かれらは病気についての知識を持ち合わせぬし、どういう病気なのか、どのようなケアや治療が必要で、事後の生活についてどのよう注意が(自身では)必要なのか、そういった事柄を知ろうとしない。聞きかじった程度の知識を絶対的正とし、思いこみや偏見に基づいて人事評価を行い、そうして当人のヒアリングを行っても形式的なものでしかない。
 ちょっと余談になりますが、或る日、家族の者に付き添って病院へ行きました。その日、わたくしは欠勤の連絡を会社に入れています。診察から結果が出るまで、半日が必要でした。件の家族は病室で休んでいます。わたくしは病院側に確認を取った上で、ちょっと近くの図書館に本を返しに行き、家族から頼まれていた買い物をし、まだ時間があるのでカフェで時間を潰していました。そうして夕方、病院へ戻って診察結果を聞いたわけですが、一人で外出していたどこかの時点での姿を、どうやら会社の上司が目撃していた様子なのです。
 運が悪かった、というべきかわかりませんが、以来わたくしに対する会社側の目は変わりましたね。その件について事実確認のために呼び出されたりしたのであれば良かったのでしょうが、結局相手の思いこみによって人事評価は下がりに下がり、まぁいろいろなこともあり、年度の切り替え時期に6年以上勤めた会社を退職となりました。これまで自分がやってきたことのすべてが無にされた気分です。
 ちなみにこの思いこみによる馬鹿げた評価はいまも根深く蔓延っており、もはや事実を述べ立てる機会も永遠に奪われて今日に至っております。もっとひどいことに、それはかつての同僚間にも広められ、かれらと連絡を取ることも再会することもできなくなりました。口惜しい限りであります。これは、銀座の話であって、横浜の話ではない。
 6の話の領域に入りますが、横浜時代のかつての上司にこんな輩がおりました。異動した年の11月に一同で集まる機会があったのですがその席で、いまは多摩センターにいる一時はマネージャーになるもすぐに降格されたSVの発言です、「耳悪くして聞こえなくなったなら、さっさと会社辞めろよ、役に立たない人なんてお払い箱だ」と。どれだけ酒の席での発言とはいえ、許されることであるとは思えません。周りにいた”ちゃん”という女性管理者と、当時は既に別事業所に移っていた丸太のような管理者も、「そうだ、そうだ」を同調したのには、もはやこの連衆ともこれまで、と思いましたね。

 さて、そんなことはともかく、本題に戻りましょう。

6と7についても、自分の経験であります。軟調になると仕事の上だけでなく、生活してゆくに困難な状況が生まれます。それまで当たり前のように行えていたコミュニケーションに支障が生じるようになる。わたくしは自分の経験──困ったりしたことを踏まえて、難聴、メニエール病、難聴とはいわぬまでも著しく聴力を落として困惑している人たちに、手を差し伸べたい。そんな人たちに対してできることをしてゆきたい。
 有川浩が自作のなかで登場人物にいわせたように、「聴覚障害って、唯一のコミュニケーション障害でもあるんですよ」(『レインツリーの国』P113 新潮文庫 2006/07)
 この言葉の重さ、とく噛みしめてほしい。外の世界にもう1度触れるきっかけをもたらし、かかわってゆく手助けになれればいい。そう考えての、活動支援云々のお話。

 がん患者のための支援活動についても同じような風に考えています。家族の誰ががんに罹っても、つらいし、苦しいし、感情の持って行き場がなくなることに変わりはありません。当人もつらいし、家族もつらい。けっして不安は尽きない。時に気持ちが不安に押しつぶされそうになり、叫んだりあたったりしたくなる。よくわかる、自分もそうだったから。家族ががんに罹って、幸い手術の経過は良好だが、やはり年齢が年齢だけに、いつ何時……と不安になる。
 この場合の支援とは、火事のときと違ってもう手術後にしか、殆どできることはないように思います。むろん、見守る家族の方々が一緒にいるならば、という前提ですが。いない場合は、逆にできることは凄まじく増える。手術に備えての投薬や健康管理、規則的な食事と生活など、やるべきこと守るべきことは山積みになりますからね。一緒に住む人が誰もいない、或いは相談や不安を口にする相手に書く人がこれをやるのは、心理的に相当な負担がある。そうした人たちを補助することができます。
 術後は、大きな病院では開催されていますが、がん患者同士のお話会、その家族たちのお話会の運営にかかわって、人々の気持ちを少しでも軽くさせてあげられることができれば、どれだけお金を使っても良いのではないでしょうか。
 もし他にできることがあるとすれば、そうした人たちのためのコミュニティを設けること、泊まり込みで看病する家族のための住戸を病院近くに用意すること、がんに限らず末期の人たちが希望するなら入居できる小綺麗なアパートを用意して使ってもらうこと、でしょうか。

 考えていても書いていても、つらくなってきますが、自分にできることはしたいのです。それが、わたくしのような者を産み育ててくれた両親そうしてけんかしながらも一応仲良く育ってきた兄、これまでわたくしを育てて支えてくれた人たちへの報恩です。受けた恩を世のために還元したいのです。そんなことを考えていたら、例の10億円の使い道、上記のようになりました。

 長くなりましたが、いまの自分の気持ちを書きました。ご寛恕願えれば幸いです。◆

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