第2850日目 〈クラリネット吹きの友どちのこと。〉 [日々の思い・独り言]

 耳を患ったとき、つらつらと思い出す人のなかに、クラリネット奏者の男性がありました。その人は日本の音大を卒業後、ドイツにあるブラームスゆかりの音楽大学に留学して、帰国しました。わたくしは帰国して間もない時分のかれに出会い、縁を結ぶことになったのです。
 きっかけは何気なしに投稿して掲載された音楽雑誌の記事。それを見たかれが手紙をくれて、年明けにある小さなリサイタルへ招いてくれたのでした。その際どんなお話をしたのか、もう覚えていない。伝ワーグナー作曲とされていた、クラリネットのための小品の真の作曲者がベールマンという人である。そんな話をした覚えだけは、たしかにあるのです。
 その後、機会ある毎にかれのリサイタルへ足を運び、クラリネットのまろやかであたたかみのある響きに魅せられてゆき、そのままどっぷりと室内楽の深い沼に嵌まりこんでいったのです。
 そも交を結ぶきっかけが雑誌への投稿記事である旨既にお話ししました。当時のわたくしはベートーヴェンの弦楽四重奏曲とシューマンのオーボエのための曲に魅了されて、室内楽を徐々にながら聴くようになっていました。
 とはいえ、いまのように居ながらにして、末端へ至るまでの情報があっという間に集められる時代ではありませんでしたから、図書館で音楽雑誌のバックナンバーを読み漁り、グローブ他の辞典で当該項目の記述へ目を通したり、或いはやはり図書館で音楽書のコーナーを舐めるように、片っ端から読み耽り、そうして違う図書館でCDを借りては聴き、カセットテープにダビングして、返してはまた借りて来て、を繰り返していました。
 そんな風にして室内楽の名曲を知ってゆく過程で、件の友どちと知り合うことができたのです。ブラームスやモーツァルトがクラリネットのために書いたソナタや五重奏曲を始めとして、サン=サーンスやプーランク、ブリテンの曲を知り、ショスタコーヴィチの曲のクラリネット編曲版という珍品に出会い、かれのために作曲された曲やかれ自身の筆になる曲の初演に立ち会えた喜びは、そのあとのかれとの会食や飲み会での愉しい思い出と一緒にいまでもはっきりと、胸のなかに刻まれています。
 わたくしが不動産会社に就職した頃から段々と、かれのリサイタルへ足を運ぶ機会は少なくなりました。仕方ない、と普段ならいうところだが、今回ばかりはそんなことをいう気分になれない。もっと時間をやり繰りして、そちらへ回すお金を作り、可能な限りかれの吹くクラリネットのまろやかな響きの時間に心身をゆだねるべきでした。──やがて年賀状のやり取りが精々となり、それもこの数年はこちらの筆無精と人でなしゆえ途絶えてしまっている──嗚呼!
 かつてのように頻繁なる手紙のやり取りの復活はもう望めなくても、まだ聴力の残っているうちに、白石光隆さんや奥様を伴奏者にした、あなたのクラリネットを客席から聴きたい。白川毅夫さん、わたくしを覚えてくださっていますか?◆

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