第2855日目 〈深夜の霊園にて婚約者と話すこと。〉 [日々の思い・独り言]

 いまの勤務地が婚約者の眠る霊園のそばなのにかこつけて、仕事帰りにてくてくと歩いて、久しぶりのお墓参りへ行ってきた。程良く離れてもあるため、日頃の運動不足解消の一助にはなったかな。ちょうど同じぐらいの距離には彼女が通った高校もあり、何年振りかで訪問したいのだけれど、流石にいろいろ間違われそうな予感が強いので、断念することに。
 祥月命日、月命日にはほぼ必ず、ここに通っている。仕事帰りであろうと休みの日であろうと、横浜にいようと東京にいようと、夜中であろうと昼間であろうと、時間になぞ関係なく。まぁ、台風の日には行ったことがないけれど……逆にいえば、雨の日、雪の日には行ったことがありますよ、ということでもある。
 これまでにも両手両足の指では数えられないぐらい、横浜の飲み屋街にて呑んだくれたあとでタクシーへ乗りこみ、件の霊園へ行ったこともあります。夜中の2時頃にこちらを出発して。行く先を告げるとまずドライバーの皆様、一様に厭な顔をされる。長距離になるとか多摩川越えるとかそんなのではなく、その……行き先を伝えるや躊躇し、怪訝な顔をされるのだ。おいおい、勘弁してくれよ、という風な表情。これまで幾度、そのような顔つきをされたことであろう。
 なんというても行き先は、曰く付きの場所である。その霊園絡みでタクシー運転手の遭遇したエピソードは、頗る付きで有名。この話を聞いたことがない人って、すくなくともわたくしの同世代や上の世代には皆無でないか(むろん、口裂け女じゃないからね)。
 うすうすお気付きになった読者諸兄があるやもしれぬ。──然り、そこは、最恐にして最凶ではないまでも都内随一、定番の心霊スポットな青山霊園である。夜中にタクシーへ乗りこんできた客が唐突に、「青山霊園までお願いします」と告げたら耳を疑い、「なにいってんだ、こいつ?」となり、ヤな客乗っけちゃったなぁ、と後悔するよな。反省したいが、こればかりはどうにもならない。
 話を進めよう。
 時間はさておき、或る意味でわたくしは青山霊園の常連である。パトカーが不審者の類に職務質問しようと構えているが、いつの間にか警官たちとも馴染みになった。わたくしが霊園に入りこむのを見咎めて近附こうとすると、相棒の警官がそれを制して、あの人はいいんだ、とゼスチャーする。まるで金田一耕助にでもなった気分だ。それ程までにわたくしはここへ熱心に(?)、なかば恒例行事のように、巡礼者のようにして、通ってきているのだ。どうだ、まいったか。
 ふらふらふらふら、勝手知ったる他人の家の如くに迷うことなく、どれだけ泥酔していても正確に、つまずくこともぶつかることも間違うこともなく、墓所へ参るのだが、そうして婚約者の眠る墓の前に着いて合掌し、やおらどこかで買いこんできた缶ビールをぷしゅっ、と開ける。生温くなったビールは、どこで呑んでもやはり美味しくない。拠って一頃は日本酒を片手にぶら下げて墓参したのだが、それはまた別のお話。
 ほぼ毎月やって来るむかしの婚約者を、お墓のなかから彼女はどんな目で見ているのだろう。もう、また来たの? と溜め息吐きながらそこから出てきて、わたくしの隣に坐りこんでいるかもしれない。そうだったら、とっても嬉しい。ぶつぶつ何事かを呟いている(ように傍からは見えるに相違ない)わたくしの話にいちいち頷き、相槌を打ってくれていたら、とっても嬉しい。早く私を忘れて誰かいい人見附けなよ、と呆れているのか、そんなに私のこと想い続けてくれて嬉しいよ早くこっちに来て一緒になろうね、と企んでいるのか、その心中、無粋なわたくしには思い及ばぬところであるのだが──。
 わたくしが帰ったあとは、まわりの墓所で眠る方々に、いつもお騒がせして済みません、と頭をさげているかもしれない。良い旦那さんをお持ちですな、といわれて、婚約中に私死んじゃったんです、なんて過去を話していたら、ちょっと頬がゆるむ。成る程、逝く前からわたくしはご近所さんには知られた顔、ということか。ラヴラヴバカップル? なんとでもいえ。
 さて、夜更けに墓所の前に坐りこんでビールなり日本酒なりを、良い気分で呑んでいると、時折、少々騒ぎながら、霊園に入りこんでくる連衆がいる。心霊スポットで動画撮影を、或いは肝試しをしようとのこのこ入りこんでくる浅墓な痴れ者衆だ。あたりがざわめくのを、そんなときは感じる。ここに眠る数多の霊が動き出す瞬間だろうか。墓石の向こう、墓所の間の通路になにかが揺らめき、進んでゆくのが肌でわかる。死者の眠りを脅かし、その場所の静寂を破って喜々とする者たちに、然るべき応えのあらんことを。◆