第2857日目 〈はじめての村上春樹;『辺境・近境』〉 [日々の思い・独り言]

 高校生の頃に『ノルウェイの森』が爆発的に売れて、社会現象にまでなった。『はなきんデータランド』の<書籍>ランキングでは長らく首位を守り、乗換駅の地下にあった書店の平台にはいつもこの上下2巻、赤と緑の表紙カバーに金色の帯が掛かった単行本が並べられていた。ご多分に洩れず、わたくしも読んだ。なんだか大人の小説を読んだように思い、それからしばらく目眩のするような濃密な読書の時間を過ごした。が、作者との付き合いがその後続くことはなかった。
 バブル崩壊の衝撃をもろに喰らって就職浪人のまま学校を卒業して数年が経った20代後半、大学生協の書籍部で『辺境・近境』(新潮社)という本を手にした。紀行作家になりたくて、あちこち旅行しては写真を撮り、文章を綴って、仕事をしたい雑誌の編集部に送って営業らしいことをしていた頃でもある。
 当時はどのような紀行書や雑誌を読み散らしていただろう。そのなかにあって『辺境・近境』は頗る付きで面白かった。否、当時のわたくしには唯一無二の聖典と映った。笑わば笑え、真正直に話された事実は得てして失笑を買うものである。それまでに読んでいた他の本はといえば、沢木耕太郎『深夜特急』と蔵前仁一『ホテルアジアの眠れない夜』、宮脇俊三『時刻表2万キロ』、和辻哲郎『古寺巡礼』などなど、ド定番といわれる作家・作品であったが、正直なところ、羨望こそすれそれはどこか一歩引いた冷静な感情で、溺れるぐらいに惚れこむのは難しかった。
 そこに現れたのが、書籍部の平台に置かれた『辺境・近境』である。そのジャンルの本を片っ端から読み漁りたい熱に浮かされ、かつ範としたき作家を求めていたその頃に、遭遇してしまったのだ。本を手にするときになにかしらの予感はあったかもしれない、目次に目を通し、イースト・ハンプトンやノモンハンの文章を摘まみ読みして、それまで自分が親しんできた外国文学の翻訳にも似た文章に一気に引きこまれ、讃岐うどんの文章に付けられたイラストにおかしみを感じて、勤務が終わったあと、レジを開けてもらってその本を買い、メディア・センターにこもって読書し、勿論読了すること能わず帰りの電車のなか、帰宅して大学の勉強もそっちのけ、翌る日の出勤の電車のなかで読み耽ってとうとう次の日の昼休憩には読み終わってしまった。そうして、この人のような文章を書きたい、この人のような物の見方捉え方を真似したい、と、たった一昼夜で思うぐらい心酔してしまったのである……。
 では、そのあとに書いた紀行文は、その人のようになり得たか。勿論、答えはノーである。見せかけだけの空疎なものにしかならなかった。別の日に同じ旅行を題材にして書いたときの方が、余程生気に満ち、情景や人々の息遣いを喚起させるに力あったぐらいである。これは果たしてなにを意味するか。なにをも意味しない。自分は自分でしかない、ということ。或いは、エピゴーネンの創出はこうも簡単に行われる、ということ。もっと単純にいえば、コピーを作るのは容易いことだ、と。賢明にもわたくしはそれを早々に悟り、「わしはわしじゃ」と心中呟きながらその後も紀行文めいたものを書き、いつしかそこから離れてこうした<うぐいすのさえずり>と自称する文章を、延々30年以上も飽きることなく書き続けている。
 『辺境・近境』のあとで『遠い太鼓』(講談社)を古本屋で買い、こちらにもいたく惚れこんだが、もうその人のスタイルで文章を書きたい、なんて大それた希望は棄てていた。それでも──小説を読むことはなくなっても、紀行だけはいつまでも買い続け、読み続けよう、と決意していたね。
 ──蛇足であるけれど、その人の単行本の初版を集め始めて8ヶ月か9ヶ月後には、9割を架蔵する幸運に恵まれた。それまでに所持していた単行本は基本的に処分した。が、『辺境・近境』はいつまでも第2版である。初版はよく見掛けるけれど、買い換える気が起きない。そんな考えが一瞬であっても刹那であっても、脳裏をかすめることがない。『辺境・近境』だけはあのときのわたくしが大学生協書籍部で手にし、満員電車のなかで果敢にも読み耽って、この人への尊崇象形を抱かしめるに至った第2版でなくてはならないのだ。◆

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