第2858日目 〈枯れ木に花を咲かせましょう;嗤いながら、『呪怨』を観る。〉 [日々の思い・独り言]

 あのね、みんなが怖い、怖いっていうホラー映画の殆どに、「え、どこが?」と返してしまうわたくしは、もはやそのあたりの感覚が麻痺しているのだろうか。いまではなにを観ても基本、心中ツッコミの言葉を呟き、時には呆れの溜め息、また失笑苦笑くすくす笑い。
 とはいえ、わたくしにもウブな時期はあったのだ、勿論。『悪魔のいけにえ』『死霊のはらわた』『デモンズ』『血の祝祭日』等々、いまでは鼻歌交じり、欠伸混じりで鑑賞できるが、初見の当時は怖くて観たことに後悔を覚え、そうして或る時期まで観るを控えていた映画は多い。
 本朝のホラー映画でそれに匹敵するような作品──初めて観たときは震えあがったけれど、いまでは当時の怖がりっぷりもどこヘやら、という作品あるとすれば、その最右翼に挙げられるべきが、『呪怨』であった。
 顔は血まみれ、全身は骨まで透けて見えそうな薄灰色の肌を持った不健康そのもの、四つん這いで移動するのが大の得意な佐伯伽椰子とその実子、母と同じく不健康な肌の色に加えて歌舞伎役者まがいの隈取り目立ち、四季を通じてブリーフ一丁で駆けずり回り時にソファの上で体育座りしている俊雄による、<呪い>という名の<笑い>が全編に満ちあふれて波状攻撃してくる、至高のファルス(笑劇)である。
 実はこれまでシリーズ全作をまとめて観ることができなかった。TSUTAYAへ行くたび、まとめて借りちゃおうか、と思案することあれども他の作品へ目移りしてそのまま忘れて帰ってしまうが毎度のオチ。偶さかシリーズのどれか1作を単独で観てしまったり、或いはYouTubeで<極めつけの恐怖シーン・まとめ>とか銘打たれて編集されたものを怖い物見たさで閲覧して、それなりに恐怖したことありと雖もまとめて鑑賞するにはどうにも腰が重く、爾来幾年過ぎたやら。
 そんな過去があったにもかかわらず。現在では当時味わった恐怖など微塵も思い出すことなく平然と、お茶を飲みながら『呪怨』を観ることができる。
 昨年であったか、CSのファミリー劇場他で全作が放送されたのを契機に、一所懸命内蔵HDの容量を開けて録画に臨み、休みの1日を割いて<イッキ観>を敢行したわけだが……観る前に抱いていた不安や躊躇い、後悔の類──「なんで録画しちゃったんだろう?」「4倍速ぐらいで早送りして、もう“観た”ことにしちゃおうか」etc.──は1作ごとに薄れ、終いには「なんやねん、『呪怨』ってホラーやなくてドタバタ喜劇やったんか」と思うに至った。いや、まったく。
 衝撃の結論に腑抜けたものを感じ、そのあとで襲ってきた脱力感と失望感、そうして疲労感に、翌日の勤務を休みたく思うた程でしたよ(『残穢 ──住んではいけない部屋──』を続けてみることで、どうにか出勤の意欲は振り絞りましたが、これって偉くないですか?)。
 テレヴィの画面、雨の学校、病室、遺影、床から後頭部から、布団のなか、と、所構わず節操なく現れては相手を嬉々と呪殺しまくる佐伯伽椰子(呪殺は彼女の生きがいであります!)。彼女のアクティヴぐあいは是非にも他のホラーヒロインに見倣ってほしいところがあるが、それでも敢えて一言したい。伽椰子、お前はやり過ぎだ。殺しすぎだ、というのではない。殺りたければ気の済むまで殺ればよい。
 どうしてそんなにウケ狙いな出現の仕方ばかりするのか、と小一時間問い詰めたいのだ。事前の打ち合わせや仕込みの都合もあろうが、お前の出現シーンは大概が演出過剰で観ているこちらはシラケてしまう。このあたりは他のホラーヒロインたちの出演映画を観て、勉強してみては如何か。謙虚な姿勢をゆめ忘れぬことだ。昔ながらの「ヒュー、ドロドロ」の方がお前の出現方法よりもずっと怖いよ。
 あと、小林センセーへの思いを綴った日記を、簡単に見附けられてしまうような場所へ隠すことはお奨めできない。それで隠したつもりなのだろうか? そんなに大事ならば、隠し場所にもっと知恵を絞れ(もっとも、お前にどれだけの知性があるのか、知ったことではないが)。見附けてください、読んでください、逆上してください、罵ってください、折檻してください、殺してください、と嘆願しているに等しい。すべては夫よあなたの御心のままにアーメン。剛雄でなくてもこれじゃぁ、気分を害すよ。伽椰子になけなしの想像力があれば、このような惨事は起きず、されど残念ながら『呪怨』もこの世に生まれ落ちることなかっただろうから、まぁ。結果オーライというべきか?
 もしかすると伽椰子、生前のお前はドMだったのか? ならばお前は専業主婦になど収まるべきではなかった。夫の目を盗んで平日昼間はどこか場末のSMクラブでM女として働くべきだったのだ。
 それと、俊雄。いまどきブリーフなの、とは訊かない。それは俊雄のアイデンティティを否定する質問だ。かれの個性を認めてあげなくてはいけない。
 が、「ニャー」とか「ミャア」とか馬鹿の一つ覚えのように猫の鳴き真似するだけでは、じきに誰からも相手にされなくなって、路線変更を余儀なくされてしまうよ。嗚呼、また俊雄が猫やってるよ、飽きたっつーの。そんな風にいわれたくはないだろう?
 それにな、猫嫌いの人間にしつこくそれやったら、蹴飛ばされてフルボッコにされるで。うん、わたくしならそうするね。猫の鳴き真似して可愛がられかつ許されるのは凛ちゃんぐらいだよ。いっそのこと、弟子入りでもしてきたらどうか。
 忌憚なくいうて、『呪怨』シリーズとは世にも愉快なシットコムである。恐怖の要素はことごとくお笑いに変換され、全編これ抱腹絶倒を約束された、役者揃い踏みなシチュエーション・コメディ。伽椰子よ、俊雄よ、かれらの弾けた演技に彩りを添える助演者たちよ、キミたちは活躍の場を映画やドラマの世界に求めぬ方が賢明であるまいか。佐伯伽椰子座長『呪怨』一座は今後、M-1グランプリ出場を目標に切磋琢磨すべきだろう。ああ、そうそう。くれぐれも結果が気に喰わないからとて審査員たちを呪殺することなかれ。そんなことしたら、怨むで?◆

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