第2863日目 〈太宰治『きりぎりす』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 『きりぎりす』は太宰中期、昭和12/1937年から昭和17/1942年の間に書かれた小説を収める。全14編。十八番の女性の告白体を始め、私小説、随想風とあいかわらず太宰の文体、文章の巧みかつ流麗堅固そうして自在な技を堪能できる。勿論、題材も多彩。津軽時代の回想に端を発した話あり、心中を決めながらどこか煮え切らぬ夫婦の話、友人のエピソードを交えながら犬嫌いの心情を吐露して最後は弱きものへの同情を覚える話、故郷での評判を機にしいしい同郷人の集まりに出かけて失態を演じる話、ろくでなしの夫にさんざん苦労させられた末遂に愛想尽かした妻の告白、先輩作家に滅裂な書簡を送ってたしなめられる話、家族の厄介者を冷徹した眼差しで描く作品、etc.etc.。
 1編読了する毎、時に1行ばかりの素っ気ない、時にページの余白をびっしり埋める量の感想を、綴っている。なにかしら共鳴するところある文章にはカッコして、件のページの上端を折っているから、巻を閉じるとその部分だけがわずかにふくらんでいる。痕跡を、残したのだ。
 読了から本稿起草まで、『きりぎりす』を読み返していたのだけれど、さすがにこの短期間では感想も大きく変わらないことに安堵、確認した上で、いまキーボードを叩いている。が、早くも忘れかけている細部に改めて感じ入ったことでもあった。
 冒頭を飾る「燈籠」はわが身を顧みることを強いられもする、何度読んでも胸に迫るところある哀れとも哀しとも思う1編。「おしゃれ童子」を読んで伊達者ブランメルの遠縁のように少年を感じ、ひそかにボー・ダザイと口のなかで呟いて吹き出しちゃう。「姥捨」を太宰風『夫婦善哉』のように思い、「善蔵を思う」に太宰流<ホントのハナシ>を感じもした。「佐渡」を読んでは罵詈してそれを遠慮なく余白に書き連ね、どうしてこんなものを書いてくれちゃったのだろう、としばし思案に暮れたりもしている。
 そうしてわたくしにとって本書の白眉は、表題作の「きりぎりす」、最後に並んで置かれた「水仙」と「日の出前」の3編である。
 「きりぎりす」にわれはいふ。曰く、「画家の亭主は唯の畜生夫である。ええ格好しいのペテン師にして生活不能者である。/これまで耐え忍んできた女房の抑制きいた語りゆえに佳品となっている。この亭主は誠の、正真正銘の、真性の、治癒不可なるクズである。およそ人のクズ、男のクズを描かせて太宰の右に出る者おそらくなく、そうして太宰程筆のなめらかになる小説家も滅多にあるまい。/そのような人物を拵えて、またそれに相対する性質の語り手を拵えて、人間の見栄とか二心、お調子の良さとそのあとに訪れる不協和音など、真正直に、誠実に描いて、かつ普遍のものへと昇華させる才に長けたるは、まさしくこの天才に為せる業である」と。
 「きりぎりす」に作者はいふ。曰く、「誰にも知られず、貧乏で、つつましく暮して行く事ほど、楽しいものはありません。私は、お金も何も欲しくありません。心の中で、遠い大きいプライドを持って、こっそり生きていたいと思います」(P187)と。嗚呼、この美しさよ。慎ましく、慎ましく、人よあれ。
 「水仙」にわれはいふ。曰く、「<太宰治>のイメージから相当外れた異色の小説。一歩踏み誤ればサイコ小説であるが、勿論本作はそのように読み捉えるべきではない。/(巻末奥野健男の)解説にあるように善意が人を圧し潰し、変節させるという事実を敢えて言葉にして暴露した、ストレートで痛切なる一種のリポートである。そうして圧し潰され、変節させられたがゆえに、その人の能力(才能)が本物であったか疑わしく思えてくるというのは、プロアマ問わずなにかをクリエイトする人ならば胸に突き刺さる部分あるのではないか。奇妙な味の小説、と、乱歩が使ったのとは異なる意味合いでこの言葉を採り、本作をそう評したい」と。
 「水仙」に作者はいふ。曰く、「水仙の絵は、断じて、つまらない絵ではなかった。美事だった。なぜそれを僕が引き裂いたのか。それは読者の推量にまかせる。静子夫人は、草田氏の手許に引きとられ、そのとしの暮に自殺した。僕の不安は増大する一方である。なんだか天才の絵のようだ。おのずから忠直卿の物語など思い出され、或る夜ふと、忠直卿も事実素晴らしい剣術の達人だったのではあるまいかと、奇妙な疑念にさえとらわれて、このごろは夜も眠られぬくらいに不安である。二十世紀にも、芸術の天才が生きているのかも知れぬ」(P324)と。嗚呼、偽とは、義とは、果たしてなにぞ。
 「日の出前」にわれはいふ。曰く、「けっきょく犯人は誰なのか、そも自殺か事故か、ハタマタ父なる人による殺人かてふ疑問あり。よもや仙之助氏が、と疑うところあり、また『津軽通信』「犯人」に様相似るところあり、など、読了した瞬間より<フーダニット>(犯人は誰か)に関心を集中させてしまうと雖も、なんとむかむかしてくる小説かという想いがそれに優る。むかむかする、とは、作品の好嫌に拠るにあらず。家族の厄介者たる勝治の人物造形があまりに肉体と感情備えたるものに思えて、却ってそれゆえにこそ生身の人間に向かい合ったときに覚える腹立たしさなど感情を荒げるのである。/勝治は救い難く許し難く面罵したき男にして、その言或いは動、人を欺きお金をまきあげ無駄に遣う、家族に冷たくまた暴力腕力で己を貫き他を退け従わせる。それらのことごとくが鏡に映りこんだ自分を見る気がして、心の底から嫌悪し、目を背けたくなるのである。つくづくイヤである。イヤなものはイヤだ。/太宰がこのような作品をも描いていたことにわたくしは、驚く。成る程、とも思う。もっとこの方面に突き進んだ小説を読みたかった。もしかすると太宰はプロパー作家よりも凄惨なその種の小説を世に送り出していたかもしれない。そう思うと、太宰の自死にやりきれないものを感じる。終の妹の一言──「兄さんが死んだので、私たちは幸福になりました」──あたかもカフカ『変身』に於ける、ザムザ青年死後のかれの家族を思い起こさせる。/(扉に書きつけた感想を、もう一つ)悪漢になりきれぬ意志弱く薄情乱費を旨とする小粒な洟垂れ小僧、斯くして死人となりて遺族に安寧をもたらす」と。
 「日の出前」に作者はいふ。曰く、「勝治だって、苦しいに違いない。けれども、この小暴君は、詫びるという法を知らなかった。詫びるというのは、むしろ大いに卑怯な事だと思っていたようである。自分で失敗をやらかす度毎に、かえって、やたらに怒るのである」(P342)と。嗚呼、これ自分を偽り世を偽る小心者に固有の心理なり。
 また曰く、「少女は眼を挙げて答えた。その言葉は、エホバをさえ沈思させたにちがいない。もちろん世界の文学にも、未だかつて出現したことがなかった程の新しい言葉であった。/「いいえ、」少女は眼を挙げて答えた。「兄さんが死んだので、私たちは幸福になりました」(P353-4)と。嗚呼、心胆震えて止まらずとはまさしくこれなり。
 長くなった。もう筆を擱く。そろそろ右手も限界だ。
 結びに、本書中別格でわたくしの好きな短編である「燈籠」から──
 「私たちのしあわせは、所詮こんな、お部屋の電球を変えることくらいのものなのだ、とこっそり自分に言い聞かせてみましたが、そんなにわびしい気も起らず、かえってこのつつましい電燈をともした私たちの一家が、ずいぶん綺麗な走馬燈のような気がして来て、ああ、覗くなら覗け、私たち親子は、美しいのだ、と庭に鳴く虫にまでも知らせてあげたい静かなよろこびが、胸にこみあげて来たのでございます」(「燈籠」 P17)と。
 家庭のささやかな幸福とは、こういうことだ。慎ましく、凜として、気高くあれ。◆






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