第2872日目 〈吉祥寺-渋谷間を走った「帝都電鉄」について。──証明終わり。〉 [日々の思い・独り言]

 困っている。エッセイの蓄えが尽きた。備蓄、ゼロ。ぶるぶる震えてしまう言葉だ、背筋に寒気の走る言葉だ。備蓄、ゼロ。何度書いても、事態は好転しない。さらに困ったことに、エッセイのネタもないのだ。どんなに七転八倒、五体投地、輾転反側してみても、ネタは欠片も出てこない。いやぁ、困った。
 が、それでも書かなくてはならない。──え、ネタもないのに書くの? 然り、ない袖は振れない、というのは物質的なものに即していう言葉だ。やれやれ、ご愁傷様、と君云ふこと勿れ。強がりいうな、なんて頭を振り振りしながら見下すような白い眼を投げるの、止めてくれ。背筋がゾクゾク、心がさざめくではないか。……正直にいえば、こんな風に倩していると、いつの間にか=気附いたら、相応の分量になっているのだ。そうして、これ幸いと、エンドマーク(◆)を付ける。いまからそれを、君の前で証明しよう。
 豊洲への往復の車中にて、太宰治『新ハムレット』「乞食学生」を読んでいる。そのなかに、語り手と少年が帝都電鉄に乗って渋谷へ行くてふ件りがあってね、ふと気になって調べたわけサ。原文はこうである、──
 「吉祥寺駅から、帝都電鉄に乗り、渋谷に着いた」(P136 新潮文庫)
 この直前、かれらは井の頭にいる。「井の頭公園の池のほとりに、老夫婦二人きりで営んでいる小さい茶店が一軒ある。私は、私の三鷹の家に、ほんのたまに訪れて来る友人たちを、その茶店に案内する事にしているのである」(P120)……「森を通り抜け、石段を降り、弁天様の境内を横切り、動物園の前を通って池に出た。池をめぐって半町ほど歩けば目的の茶店である」(P122)……そうして訳あって帝都電鉄に乗って渋谷へ参じた次第だ。
 ここで2人が乗ったのは引用にある如く帝都電鉄、即ち、今日の京王井の頭線である。武蔵野を横断してまっすぐ線路が延びる省線、つまり現在の中央線快速や総武線各駅停車ではない。省線で渋谷に出るなら、新宿乗り換えになることはいまと同じだ。
 かれらが殴りこみをかける勢いで乗ったのが、今日の京王井の頭線であるのはわかった。使用した鉄道をちゃんと書いてくれる太宰の優しさに、われらは万歳を三唱しよう。バンザイダザイ、ダザイバンザイ、バンザイヴィーナス(嗚呼、茉夏は可愛かったなぁ)。
 では、とここで新たな疑問が、当然のように発生する;帝都電鉄、ってなに? (話が戻った)
 それはかつて存在した鉄道事業者の、改称後の名前だ。元は東京山手急行電鉄という。大東亜共栄圏と同様、理想を追い求めて諸般の事情により泡沫の夢と化した、山手線外周へ約50㎞にわたる環状路線を構想した鉄道事業者である。
 大正14/1925年に運行開始していた山手線の外周を取り囲むようにして新たな環状路線を敷設・運行するプランはしかし、鉄道省の審議が長引いている間に内閣総辞職、昭和大恐慌などの余波をもろに受けて頓挫、辛うじて免許取得済みの路線のうち比較的建設が容易であった渋谷−吉祥時間を開業させるに伴い「帝都電鉄」と改称するも、昭和15/1940年(なんだか最近、この年号に縁があるなぁ)に小田原急行電鉄に合併。この世から消滅した。
 ……1つの小説に登場する固有名詞を調べてみると、かならず<時代性>というものが浮かびあがってくる。三島由紀夫は、小説は風俗から風化し始める、と喝破した──と記憶する。風俗描写或いは固有名詞全般の不明。これが、近代文学のハードルを上げる要因の1つかもしれぬが、これはけっして瑕疵ではない。むろん、経年劣化でもない。
 むしろ考古学に属するのではないか。地表(上記引用文)に出現した化石(帝都電鉄)のまわりを慎重に、丹念に掘り進めて、片鱗乃至は全体像を摑む(帝都電鉄/東京山手急行電鉄の歴史と当時の国内の情勢)──まさしく、といえまいか。わたくしはこれを仮に、文芸考古学と名附けたい気分である。もし既にこのような学問があるなら、わが無知蒙昧を失笑して看過いただきたい。とはいえ、こんな作業が「これまで知らなかったことを知る」愉悦と法悦と歓喜をもたらしてくれるのは、誰にも否定できぬところだろう。
 鉄道については、文章を著した文人たちならば、なにかしら書き残している(意識してか無意識にか、それはさておくとして)。かれらが残した文章を繙けば、いまは埋もれてしまった歴史を掘り起こし、風景を再現し、人々の声を汲みあげることができる。考古学、と冗談ごかしていうのは、この点を考慮してのことだ。そうして鉄道の歴史は日本近代史のさまざまな面と、密接に結びついている。今後も機会あらば無学の歴史好きとして、このような調査報告をお披露目してゆきたい。
 ──
 ──どうだい、書けただろう? 書いているうちにどうにかなる、とわたくしは堅く信じて疑わない。井戸を掘り続けていれば、意外なところから水が湧き出て溜まるものさ。
 以上、証明終わり(Q.E.D.)。◆

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