第2873日目 〈どうしようもなく、エッセイのネタがないことについて。〉 [日々の思い・独り言]

 限られた時間内で探すこと叶わず、出典を明示すること不可能となったのは残念だが、村上春樹はエッセイを連載するにあたり、事前に話題を幾つもリストアップして片っ端から書いてゆき、なくなったら連載終了になる旨文章があった。羨ましい限りである。正確なニュアンスは抜け落ちているに相違ないが、概ねそんな主旨であったはず。
 事前にネタをストックしているというが、その数は連載回数の何倍にも達するだろう。使わなかったものもあり、使えなかったものもあり、いつの間にか書き手のなかでの鮮度を失ったものもあり、実際に読者が読んだネタは氷山の一角と考えるべきだろう。
 羨ましく思うというのは、ネタのリストアップにじつはなくて、むしろそれを消化してゆくだけの集中力と話の広げ方、取り上げ方に由来する。わたくしも時にネタを幾つか、モレスキンのラージ・サイズ方眼ノートへ書き出すが、殆ど役に立ったことはない。書き出したときはおおよその仕上がりが予想されているところあるので、非常に心は高揚し脳ミソも活性化しているのだが、哀しいかな、実際に書くときは相応の時間が経過しているため、鮮度は勿論、「なにを書こうとしていたんだったかな」と小首を傾げる始末なのである。
 毎日毎日、ここにお披露目するための文章を書いている。ノートに手書きであったり、MacやWindowsであったり、と違いこそあれ、ぶっつけ本番、綱渡り状態で遮二無二書き綴っていることが専らなのは、ツール云々に関係ない事実だ。
 だいたい宵刻から数時間後にお披露目するエッセイについて考え始めて早ければ夕食前後から、たいていは風呂も浴びて寝るまでは自由な時間という時間帯に書き始める。それでも書けないときは、まるで書けない。そんなときはうだうだと文字を重ねて原稿が方向性を持ち始めるまで、ひたすら忍耐、ひたすら打鍵である。タイピングだけは早いのはたぶん、時間に追われて書いているその副産物であろう。
 休みの日を設けるのが、怖いのだ。体力的に時間的に精神的にきつかったら、或いは書くことがなにもなかったら、休みの日をつくって回復を待つのも1つの方法であろうことは、じゅうぶんに承知している。が、どうしたわけかそれを避けたい気持ちなのだ。休むことに多少なりとも罪悪感があるのかな。そんなマジメな人間ではないはずなのだが……。これもまた、サラリーマン生活で骨身まで染みこんだ習性なのかなぁ。いやはやまったく。
 お前の文章には内容がない、質も良くない、なんてこといわれても、毎日が日曜日なわけでもないので、そんなこといわれても困る。先々月まで一身上の都合により、毎日が日曜日どころかバカンスだったことは、言い訳のしようがないけれど。
 ……短時間でより良い原稿を書けるようになるよう、日々精進善処いたします。蛇足ながらご報告すると、本稿作成所要時間;38分。
 見守っていてください。◆

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