第2874日目 〈岡松和夫『断弦』を3冊も買ってしまっている理由。〉 [日々の思い・独り言]

 同じ本を何冊も買ってしまった経験、読書好きな方なら1度や2度はあるはずだ。持っていることを忘れていた、持っているのはわかっているがどこにあるかいまは遭難中のため買い直した、大好きな本なので読書用・保管用・布教用に買い足した、持っているが酷使したことで壊滅寸前の様相を呈しているためもう1冊買う必要があった、その他諸々。
 以上はわたくし自身、経験のある「もう1冊買っちゃった、えへ」の背景である。忘れていたのはなぜか岩波文庫に集中しており、遭難中のため買い直したのはサンケイ文庫版キング短編集第1巻『骸骨乗組員』である。酷使したせいで(ほぼ)同じ本を買う必要に駆られたのは言わずもがな聖書と『論語』であり、大好きな本ゆえに買い足してきたのが岡松一夫『断弦』であった。
 この『断弦』については、様々な人が語ってきた。ぶっちゃけ、永井荷風と平井呈一の交際を核に据えた、他ならぬ平井呈一の近親者が綴ったいぶし銀の魅力を放つ小説で、大きな図書館なら架蔵しているのではないか。お読みになることを、もし未読の方が本稿をお読みくださっているならば、強くお奨めする。
 創元推理文庫から平井の創作とエッセイをまとめた『真夜中の檻』が出た際、東雅夫が解説でこれに触れていたのが、『断弦』を知ったきっかけだった。以来、これをどうしても読みたいと思い思いしていたところ、県立図書館にあるのを知ってすぐさま駆けつけ、現代日本小説の棚から探し出して近くの机に向かって閉館間際まで読み耽り、それでも読了することできなかったために借り出して、家に持ち帰って返却日まで何度となく読み返した……。結果、所有欲が高まり、斯くて古本屋を探し歩く日々が始まった──それは殆ど聖杯探索に似た様相を、やがて呈して悠希。
 最初の1冊はたしか、中野ブロードウェイのなかにあった間口の狭い古本屋で見附けた。売価が幾らであったか、忘れてしまった。パラフィン紙で丁寧に保護された、帯附き初版の『断弦』をわたくしはその晩、寝転がりながら読んで朝、目を覚ましたら抱きかかえておりましたよ。
 が、ふしぎなものだな、いったん所有してしまうと借りていたときと違って頻繁にページを繰ることがなくなるんだ。他に読む本もあるし、そればかり相手にしているわけにもゆかぬから、仕方ないんだけれどね。加えて、既に本はそこにいつでもあり、ゆえもたらされる安心感から、棚に収めて以後はまるで神棚に祀られたご神体のように崇め奉る対象になっている……さすがに誇大表現に過ぎているのは承知だ。けれど読者諸兄よ、極めて真実に近い気持ちなのだ。許せ、済まぬ。
 そうして現在、岡松一夫『断弦』は3冊、ここにある。3冊あるからとて誤解しないでほしい、けっして読書用・保管用・布教用というわけではないのだ。読書用と保管用、そこにもはや境界線はなく、布教用とても布教するに値する相手ももういない。棚にあるのを見ると、つい買うてしまう。その結果が、これである。不憫になって買ってしまう、というのはその本が長いこと棚に売れ残っているのを憐れに思うているうちに、いつの間にやら判官贔屓にも等しい愛情が湧き、やがて「自分が買わなくてどうするのか」という強迫観念に駆られて勇んで件の本をレジへ運んでわがものとした場合のことである。
 が、わたくしの場合、そうではないのだ。<出会いは或る日突然に>訪れて、<電光石火の恋>の病を一瞬にして発症、<惚れた芸妓を落籍かせて女房に落ち着かせる>が如き行為である。もしかすると他の誰かが読む機会を奪ってしまっているのかもしれない。が、ブックオフオンラインでアルバイトしていたとき、この本が破棄されて紙屑屋のトラックに放りこまれる場面を目撃した経験(トラウマとも)あると、この本の背表紙を見るたび記憶がよみがえり、つい引き取りたくなってしまうのですよ……。◆

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