第2875日目 〈英国ミステリが好きだから、この本を長い年月探していたのだ。〉 [日々の思い・独り言]

 わたくしは大英帝国に忠誠を誓う者である。本気でそう思うている。きっかけは勿論、シャーロック・ホームズだ。その次にアガサ・クリスティ、エミリ・ブロンテと続く。高校を卒業する春、親戚に連れられてイギリスへ旅行した。
 それを契機に英国そのものに惹かれて、歴史の本を繙き、料理に魅せられ、関心は小説ばかりでなく戯曲や詩、エッセイへ広がり、文学ばかりでなく映画や美術(ターナーとタデマが好き)、音楽に深く淫して(フィンジとRVW、エルガー、ダウランドが殊に好き)、いつの間にやら言語や文法までが好きになったとなっては、もはや病膏肓に入るというても宜しかろう。
 散漫になりがちな気配漂うゆえ、ここでは話題をミステリに絞る。
 入り口がホームズ、その次にクリスティ。となれば、そのあと海外ミステリを読んでゆく過程で英国ミステリが主軸になるのは、避けられぬ事態……というよりも、必然であろう。そこでみくらさんさんかは考える、腕組みして天井を睨んで、考える。クリスティのあとに読んだ英国ミステリって、なんだろう?
 ブロンテを振り出しにディケンズ、ヒルトン、などなど所謂メインストリーム或いはその路辺に咲くマイナー・ポエットの文学に耽溺する一方で、怪奇小説に淫してジェイムズやマッケンに歓喜しながら先達の導きに従い読んでゆく愉悦の時を過ごしていたが、さて、ミステリとなると……。誰の作品を、クリスティのあとに読んだのか、まるで覚えていないのである。誰かなのは間違いないが果たして誰であったか、手掛かりは既にこの世になく、また証言もあてにできない……。
 まぁ確かなのは、英国ミステリを愉しんで読んできた、ということである。
 若竹七海/小山正共著『英国ミステリ道中ひざくりげ』(光文社 2002年7月)という本がある。タイトル通り、夫婦である著者が英国ミステリの舞台になった或いは作者や作品にゆかりある場所を訪ね歩き、文章の端々に英国ミステリへの尋常ならざる<愛>が炸裂している、読んで楽しく見て愉しい(写真がいっぱい掲載されているのだ)、小山によるコラム(英国各地の古書店ガイド)も必読な1冊。
 じつはわたくし、新刊書店に並んでいるときには買いそびれ、その後ネットオークションや古書店で探すようにしていたが、なかなか見附けることのできない、個人的には<幻の本>も同然だった。1度だけ、非常に状態の悪いものを高田馬場の古書店で見掛けたが、帯はなく、表紙カバーは日焼けと黒ずみで汚れること甚だしく、本文にマーカーが縦横無尽に引かれた、オブジェにも鍋敷きにもなににもならぬものだった。むろん、買うはずがない。この本に1,500円の売価を付けた古書店も古書店だが、購うた人も購うた人である。
 そうして、じつはここからの数行が本稿の要諦なのだ。
 殆ど本書の入手ほぼ諦めていた先月の或る日、すっかりその本のことを忘れて沼津市内のと或る古書店にふらり、と入ったとき、なにげなく見渡した入り口近くの棚に、見覚えのあるタイトルが記された背表紙が視界に入った。新刊書店で昨日買ったのをそのまま並べました、という感じの、状態美麗なる初版帯附きな若竹七海/小山正共著『英国ミステリ道中ひざくりげ』である。売価900円。吉田健一の文庫と一緒にレジへ運び、店を出てからわが身の幸運を存分に噛みしめた……歌おう、感動する程の喜びをっ!!
 読みたいと思うたとき、もうこれで図書館のお世話にならずに済む。何度借り出しては後ろ髪引かれる思いで返却したことだろう。あんな悲しい経験とは、これでサヨウナラだ。コラムの活字をやたらと小さく感じることが、初めてこの本を新刊書店の平台で見附けたときから今日までに流れた時間の経過を思わずにいられないけれど、大丈夫、いまの俺にはハズキルーペがある。どんなもんだ、えっへん。
 ──本稿を、後日お披露目予定の本書感想文の予告編と受け取っていただいて、いっこう構わない。が、その公開日は不明である。まずはお待ちいただけると、嬉しいかな。ちゃお!◆

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