第2888日目 〈太宰治の晩年作品を読み直すプロジェクトの第2回;『人間失格』〉 [日々の思い・独り言]

 前回『人間失格』を読んだのはちょうど、10年前のいま5月のことであった。新潮文庫版は手許になかったようで、新古書店で買ったぶんか社文庫で読んでいる。当時なにを思うたか、感じたか、忘却の彼方だ。レイテを遡上することができたとしても、もはやその片鱗、残滓すら摑めはするまい。
 『人間失格』は昭和23(1946)年、熱海の起雲閣別館、三鷹市下連雀と大宮市大門町の仕事場にて、3月8日から5月9日もしくは10日頃にかけて執筆された。全206枚。同年、『新潮』誌6月号から8月号まで連載。擱筆した日以後、太宰に完成、完結した作品はない(※)。
 新潮文庫版の解説で奥野健男は、「太宰治の全作品が消えても、『人間失格』だけは人々にながく繰り返し読まれ、感動を与え続ける、文学を超えた魂の告白と言えよう」(P165」と述べた。然り、然り。これに異を呈す者ありや。ちなみに『人間失格』を指して森安理文は、「太宰が最後の地獄からあげた巨大な鬼火ともいうべき雄篇」であり「彼の芸術的自叙伝」という(『微笑の受難者 太宰治』P169 現代教養文庫/社会思想社 1979/4)。この森安の本については先の野原の1冊と同じく、好いものなので他日感想を認めてご紹介しましょう。
 閑話休題。
 後期のみならず太宰の文学遺産すべてのなかで、この『人間失格』程、作者の代名詞となり得た作物はない。そうして、傑作、名作、代表作、いずれのタイトルを1作で獲得してしまうている小説も、他に見当たらぬ。好みの問題はさておき、殆ど唯一無二の作品と言えるだろう。
 幼き頃から本当の自分、素顔の自分を曝すのを異様に恐れて、竹一に「ワザ、ワザ」と見抜かれ、「あなたは真面目な顔をして冗談を言うから可愛い」とねんごろになった女に指摘されてオドオドするもなお、周到に道化を演じ仮面をつけ、天賦のフェロモンをまき散らして女たちの慈しみを誘い、そもそのはじめから根太が腐っているがゆえ長ずるにつれて生活構築に無能ぶりを発揮し、遂には脳病院へ担ぎこまれて「人間、失格」(P147)と自認するに至る主人公、大庭葉蔵である。
 その滅びのプロセスはまこと、嗟嘆と戦慄の連続だ。わたくしはここにアナトール・フランス『舞姫タイス』の修道院長パフニュスやドストエフスキー『白痴』のムイシュキン公爵に連なる系譜を想像してしまう。自覚の有無という違いこそあれ、やはりその滅びのプロセスには嗟嘆と戦慄がつきまとっている。が、かれらにも況して葉蔵に近しい縁者を求めるならば、太宰中期の傑作、「右大臣実朝」より三代将軍実朝その人を除外するわけにはいかない。作中の有名な台詞、「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」(『惜別』「右大臣実朝」P21 新潮文庫)──ここに両者の相通ずるところ、重なり合うところを見出せはしないだろうか?
 太宰文学の総決算と『人間失格』は語られること、しばしばである。当時既に山崎富栄との仲は泥沼化し、書かれる作品はどれが遺作となっても不思議でない気迫に満ちていた。そんななかで書かれた『人間失格』が別格中の別格であり、かつ他を霞ませてしまう程の巨大さを示しているのは、裸身どころか内蔵・骨格まで自らオペしてみせた、一種の解剖記録であると同時に、津島修治としての、太宰治としての人生にけじめを付ける覚悟で築かれた墓標であるためだ。
 わたくしはこれ程までに作者が自分の心の内をストレートに、アナリスティックに語り果せた作品のあることを知らない。太宰文学が種々の誹謗や嘲笑、誤解を浴びながらも永遠の光芒を放ち続けているのは、その文学の持つ<特殊性>に拠る。
 太宰は青春のハシカ、という断定に「否」を唱えはしないけれど、そこで終わらぬところに<特殊性>を認められはしないか。それは言葉を換えれば、<多面性>であり<懐の深さ>である、と、そういえるだろう。
 自然主義文学のように恥部秘事さえ赤裸々に描いたかと思えば(「道化の華」)、再話という形を借りて自分の本音・心情を塗りこめ世の中の風潮に抗う(「お伽草子」)。剣をかざして遮二無二振り回した挙げ句己を傷附けて流れる血を眺めて悄然としていたり(「創生期」)、いちど腹を括ったら捨て身の勢いで斬りこんで相手の喉元へ匕首を突きつけることさえやってのける(「如是我聞」)。「走れメロス」や「駈込み訴え」のように中高の教科書に載って陶然とさせられる小説があれば、「右大臣実朝」や「未帰還の友に」「フォスフォレッセンス」の如く或る程度人生経験を積んでから読むと胸に迫り深みに気附かされるような作品もある。「親友交歓」のようにユーモラスなものがあれば、「葉桜と桜桃」のようにシンボリックな小説もあり、一方でひたすら内省的な『人間失格』の如きも、かれにはある。
 「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。」(P64)
 「自分は神にさえ、おびえていました。神の愛は信ぜられず、神の罰だけを信じているのでした。信仰。それは、ただ神の笞を受けるために、うなだれて審判の台に向う事のような気がしているのでした。地獄は信ぜられても、天国の存在は、どうしても信ぜられなかったのです。」(P97)
 「幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈る」(P109)
 思えば津島修治の人生には、太宰治の文学にはたびたび、上に引用したような祈りにも告解にも似た想いが、様々に変奏されてわれらの前に現れていた。時にそれは津島修治と太宰治という2人の人間の間で共有され、また独立したものとなり、或いは引き裂かれるものとなった。
 『人間失格』は件の想いが最も純化、結晶したものである。そうして津島修治と太宰治はこの1作を以てようやく、完全に一体化した──人間は太宰文学の総決算であるばかりでなく、人生の〆括りの瞬間が目と鼻の先で待ち構えていてもう避けられないところに自分がいることをあきらかに悟った人の、告解録(敢えて「遺書」という言葉は用いまい)として成った、古今に類無き巨編である。そんな風にわたくしには映るのだ。
 「いまは自分には、幸福も不幸もありません。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。
 自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。」(P149)
 ──次の『ヴィヨンの妻』で最後になります。◆

 ※『太宰治全集』別巻(筑摩書房 1992/4)の「著作年表」「年譜」に従えば、生涯最後の完成作たる短編「桜桃」は昭和23年2月下旬頃に脱稿(三鷹市下連雀の仕事部屋で?)、長編「グッド・バイ」は5月15日に第1回を起稿して6月4日頃に第13回分までを脱稿(未完)。
 随筆「如是我聞」は2月27日に第1回を脱稿、第4回の口述筆記を6月4日から5日にかけて、『新潮』誌編輯記者野平健一相手に完成させる(未完)。「如是我聞」は1年間連載する希望を太宰自ら伝えて書かれ、『新潮』誌に3月号から7月号まで掲載された(4月号は休載)。□

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