第2898日目 〈読書量と感想の数は、必ずしも比例しない。(ミステリ小説の場合)〉 [日々の思い・独り言]

 どうにも書く材料が見附けられず、サテドウシタモノカ、と、〆切間際になっても原稿があがっていぬ往年の文豪よろしく、突き出した上唇と鼻の間にペンをはさんでぼんやり虚空を見つめ、そうしたあとモレスキンのノートや大学ノートをぱらぱら目繰り、なにかエッセイの材料になるものはないか、清書に至らず終わったなかで手を加えれば使えるようなものはないか、と考えているうち目に付いたのが、連城三紀彦の短編集と相沢沙呼の長編の感想と、グラナダ/NHK地上波版のドラマ『シャーロック・ホームズの冒険』ヘの私見と、そのときは書く意欲の高かった小説のプロットであった。
 『ホームズ』のドラマについては気の向くままに書き綴っている、話題をホームズに集中したノートに収めるつもりなので割愛するとして、幾つかの連城作品についてはわたくしなりの感想文を認めて、本ブログに遺しておきたい。殆ど下書きの域を出ず第一稿と称すには足らぬ形でノートにあるのは、『変調二人羽織』と『夜よ鼠たちのために』、『戻り川心中』『夕萩心中』の〈花葬〉シリーズと『宵待草夜情』、つい先達て復刊された『運命の八分休符』である。
 書評にあらず感想なり、というてはみるが、けだしミステリ小説についてなにかしら発言することの難しさに変わりはない。ネタばらしにならぬよう留意しつつ如何にその作品の魅力を伝えるか。それに腐心し始めるともういけない、途端に筆が鈍り思考もドツボにはまり、<負のスパイラル>へ陥る羽目に。特にストーリーとトリックが蔦のように絡まりあい両者をそれぞれで考えることが困難な小説の場合、もうすっかり筆を投げて諦めて、Twitterに「#読了」でツイートすればいいか、なんて気分になる。そんな作家の代表格が、わたくしには連城三紀彦なのだ。斯様な次第でノートには残骸が溜まってゆく。あと1人、該当するミステリ作家があるとすれば、そうね、泡坂妻夫かしらん。
 倩考えてみると、わたくしがミステリ小説について、まぁそこそこ読むに耐える、そうして夢中になって取り組みその作業を愉しむことができた、本ブログにお披露目済みの感想文の最初は、綾辻行人『十角館の殺人』ではなかったか。“あの一行”の驚きに導かれてその後立て続けに綾辻作品を読み耽り、就中『暗黒館の殺人』の感想を書くにあたっては相当の気合いを入れたっけ。……おお、そういえば『霧越邸殺人事件』と『深泥丘奇談』シリーズの感想文も、上記連城作品と同じような状態でノートに埋もれたままだ。『館』シリーズの感想文でも、既に述べたが如きミステリ小説についてなにかしら発言することの難しさは感じていたはずだが、ふしぎとそのあたりに関して悩んだという記憶はない。<愉しさ>が<難しさ>を意識させなかったのか。
 ということは、難しさを感じ始めたのはそれ以後のこと、ということになる(「こと」が1つの文章で3回も!)──連城三紀彦を読んだのも泡坂妻夫を読んだのも、綾辻以後であるがゆえに。記憶に頼った発言となるが、綾辻以後に読んだ数多あるミステリ小説で感想を本ブログで公にしたのはアンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』とイーデン・フィルボッツ『赤毛のレドメイン家』、ウィリアム・アイリッシュ『幻の女』、乱歩の長編短編集、そうして読んだすべてではないものの横溝正史ぐらいのものだ(思い出した、ミルン『赤い館の秘密』もこの時期に再読して感想をあげたのだった)。クロフツもクイーンも、ダンセイニもルヴェルも、小栗虫太郎も大阪圭吉も、鮎川哲也も北村薫(一部再読)も、島田荘司と<新本格>とそれ以後の面々も、愉しんで読んだあとは刹那、感想文を書くつもりになったものの早々に見切りをつけ、既読本のダンボール箱へ詰めこんだ。もういちど引っ張り出して読み直したとしても、あらためて感想を書く気になれるかわからない。Four Chords & Several Years Ago.すべてはここに尽きている──なんてカッコつけてみたりして。
 Let’s call it a Day.みくらさんさんかよ、そろそろ本稿を結ぶ準備を。そんな風に誰かがいうのが聞こえる。了解した。
 これからのわたくしがどれだけのミステリ小説を手にし、夢中になって読み耽り、ワクワクドキドキを味わうことになるのかわからない。すくなくとも生きて目が見える限り、道楽としての読書は続けられるはず。と同時に、今後、どれだけのミステリ小説の感想の筆を執り、お披露目にまで至るかもわからない。わたくしは勿論、評論家ではないから、好き勝手に読み、好き勝手に書くだけだが、記述のホームズばかりでなくミステリ小説の感想文も1冊のノートにまとめておきたいな、と思う。自費出版できたとしても、果たして誰がそれを買ってくださるというんです?
 今日の話題を探してノートをあちこち目繰って、ふと目に付いた過去の文章を点検していたらいつの間にやら手が動き、この作物ができあがっていた。大体いつもこんな風だ。Simple as that.
 結論;わたくしはミステリ小説を「読む」ことが大好きだ。これ程愉しい道楽が他にあることを知らない。

 ちなみに本稿の元のタイトルは、「〈稼いだらその分だけ、ミステリ小説に消えてゆく。でも書くものが多くないのは……〉」というた。長いのを理由に現行のタイトルへ変更したのである。あまり大差ないけれど。◆

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