第2899日目 〈ドストエフスキーの短編集を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 【凡例】
 以下に挙げるのは、ドストエフスキーの未読の長編、即ち『未成年』『カラマーゾフの兄弟』へ手を着ける前に、いわば肩ならしのような気分で読むことを決めた短編集5冊に収録された各編の感想及び各巻読了報告他である。
 これらはいずれもTwitterで公とされ、ここに編集の手を殆ど加えることなくまとめた。但し、「他人の妻とヘ?ット?の下の夫」は既に本ブログにてお披露目済みの感想を抜粋したものであることをお断りしておく。
 基本的にいずれも読んだ順番、収録された順番であるが、一部の作品に関しては当時、感想を呟いていないこともあり、この数日で読み返して改めてツイートしている。為、日時に関しては当該作品についてのみ前後と隔たりがあることも、ここでお断りしておきたい。
 感想の前段に各短編集のデータを目次とあわせて載せた。興味ある方はこれを参照の上、新刊書店/古書店をまわるなり電脳空間で買い物するなりしていただけると、わたくしはとっても嬉しく思う。
 「▽」はそれがスレッドを用いた投稿であることを意味する。
 なお、「ドストエフスキー」「作品タイトル」「読了」「読書中」の頭に付せられていたハッシュタグは、残してみたは良いけれど検めてみると煩雑のため、1ヶ所を除きすべて削除した。
 まとめてみたら思いの外長くなってしまったが分載はせず、本日お届けさせていただくことにする。



『鰐 ドストエフスキー ユーモア小説集』
沼野充義/編・解説 小椋彩/年譜・翻訳作品
「九通の手紙からなる小説」(小沼文彦・訳)
「他人の妻とヘ?ット?の下の夫」(小沼文彦・訳)
「いまわしい話」(工藤精一郎・訳)
「鰐」(原卓也・訳)
2007年11月 講談社文芸文庫

ドストエフスキー「九通の手紙からなる小説」を読了。
ドストエフスキーのユーモアとは腹を抱えて笑ったり、我慢できずクスリ、と笑うそれではなく、価値観の逆転・挙句の本末顛倒に起因するか。必死になってNTRをひた隠そうとする亭主の足掻きは、読者をして哀れを催させるのです。
午後8:08 ・ 2020年7月25日

タイトル通り書簡体小説故相当の脱線、寄り道、道草があるが(ピョートル・イワーヌイッチの妻が寝込んだとか赤ちゃんがどうした等)、そんな点も本作へユーモアの彩りを添える要素の1つ。相手のイワン・ペトローヴィッチが苦言を呈しても、ピョートルはまるで意に介さない。その不遜がまた可笑しい。
午後8:14 ・ 2020年7月25日

ドストエフスキー「他人の妻とヘ?ット?の下の夫」を読了。
 解説などで指摘されるように、たしかにボードヴィル劇である。
 が、笑い、滑稽などよりも先に退屈、苛々が来るのはどうしてか。イワン・アンドレーヴィチの無作法と短気と会話の脱線具合と媚びへつらいに、口から出て心に積もるのは溜め息ばかり。刹那の会話劇に苦笑して、ぷっと吹き出したことはあるけれど。
 たといロシア語からの英訳を底本とする重訳で構わぬから、浅倉久志や大森望の訳で読みたかった。かれらの訳ならきっと、アパートの一室に介しての男女の4重唱も適切に処理されて読みやすかったろうし、日本語でもじゅうぶん愉しめる<ユーモア小説>に仕上がっていたであろうことは疑いない。(第2890日目より)
2020-06-02 02:00

ドストエフスキー「いまわしい話」を読了。
集中いちばんのお気に入り。でも流石にこれを"ユーモア"小説と呼ぶのは抵抗がある。部下の婚礼の席にふと気が向いて顔を出した上官が、種々の失態や誹謗の末に倒れてしまうたり、部下は部下で初夜のために用意された寝台を奪われたりで散々だ。
午後8:40 ・ 2020年7月25日

四等官イワン・イリイチは虚栄心が手伝って部下の婚礼へ乱入するが、斯様に人を傷つけ笑う傾向に、私は嫌悪を抱く。
本作をお気に入りてふは誰かを想うての善意の行動が時に相手の不興を買ったり、面目を潰すことがあるのだ、という事を(改めて)伝えてくるから。ハイ、わが身にも覚えがあるのです。
午後8:40 ・ 2020年7月25日

ドストエフスキー「鰐」を読了。
鰐の腹のなかに入りこんじまった夫の夢想と、外界へ取り残された妻の現実的享楽的な発言のギャップに、却ってこの夫婦はこうなった方が良かったのでは、と得心させられたりもする。
ユーモアというよりペシミスティックな笑いに彩られた短編でした。
午後8:43 ・ 2020年7月26日

ドストエフスキー『鰐』(講談社文芸文庫)、沼野充義編。
笑えるドストエフスキーをどこまで捉えられたか分からないけれど、過剰なユーモア、滅裂な展開を堪能することはできたように思う。
ベストは「いまわしい話」、次点が表題作の「鰐」かな。
午後9:42 ・ 2020年6月7日



『白夜/おかしな男の夢』
安岡治子/訳・訳者あとがき 年譜
「白夜」
「キリストの樅ノ木祭りに召された少年」
「百姓のマレイ」
「おかしな人間の夢」
「一八六四年のメモ」
2015年4月 光文社古典新訳文庫

ドストエフスキー「白夜」を読了。
10年前に読んだ時より、好きになっている。侘しい。胸がつまる。
この中編(少し長めの短編?)、オペラ向きの作品では?
午後7:45 ・ 2020年6月13日

ドストエフスキー「キリストの樅ノ木祭りに召された少年」を読了。
ロシアの文豪が書いたクリスマスストーリーにはこうした味わい深い掌編が多い印象があります。実際どうなのでしょう。
また、ソ連時代にはどんなクリスマスストーリーが書かれたのだろう。
午後10:45 ・ 2020年6月14日

ドストエフスキー「百姓のマレイ」を読了。
徒刑生活のなかでふと思い出された幼き頃の、或る農奴との邂逅。
本集のベストというて良い。
掌編ながらドストエフスキーの全てが発揮された逸品であります。
安岡治子の翻訳も良い。
午後8:00 ・ 2020年6月15日

ドストエフスキー「おかしな人間の夢」を読了。
別天体での楽園喪失劇が中核にあって、それが語り手の思想を転換させることになる。
これは読み逃すこと能わざるドストエフスキーの傑作。色々な人の翻訳で、読みたい。
午後1:30 ・ 2020年6月18日

ドストエフスキー「一八六四年のメモ」を読了。
『地下室の手記』「おかしな人間の夢」を読む際の、補助テキストとして捉えるのが良いか。
反復読書を要求する、わずか10ページ程度の小品ながら読み応えある一編でありました。
午後4:33 ・ 2020年6月18日



『やさしい女/白夜』
井桁貞義/訳 山城むつみ/作家案内 小椋彩/翻訳作品目録
「やさしい女」
「白夜」
2010年10月 講談社文芸文庫

ドストエフスキー「やさしい女」を今日から読みはじめました。講談社文芸文庫/井桁貞義の訳で。
まだ導入に過ぎないけれど、これも良作の予感。楽しみです!
週明けかなぁ、読了は。
午後7:40 ・ 2020年6月19日

ドストエフスキー「やさしい女」を読了。
意識の流れが文体を不安定にさせている。これは妻を自殺で失った夫の精神の不安定さをも意図するのだろうか?
訳文に小首傾げるところがあるので、米川訳や明後日届く新潮社版全集に入る訳で読み返してみます。
午前4:40 ・ 2020年6月23日

ドストエフスキー「白夜」を読書中。この短期間で3冊目の「白夜」ですよ。
しかし、既読の翻訳とはやはり随分と印象が違います。特にナースチェンカ。
安岡訳や小沼訳ではロマンティックな少女という風だったのが、今度の井桁訳は冷静で、ぐっと大人の女性に感じられます。
翻訳は面白い。
午後8:29 ・ 2020年6月24日

ドストエフスキー 読書
昨日届いた新潮社版『ドストエフスキー全集』全28巻を積み上げてみた。写真撮ったら、時間帯の関係でか後光がさしてる感じに……。
各社にて現役の文庫に漏れていた作品は勿論、作家の日記や裁判録、創作ノートなど読めるのが嬉しい。
さて、寄り道しながら、読みますか。
午後0:13 ・ 2020年6月25日

ドストエフスキー「白夜」を未だに読書中。
私の場合、これが初めて読む『白夜』でなくてよかったかもしれない。
小沼の情緒纏綿さと格調の高さが調和した訳文や、安岡の映像的かつ読みやすい訳文に比べて、こちら井桁氏の訳は全く響いてこないのです。
残り、あと※※ページ……。

文章は読みやすくて、(おそらくは)正確で、そういう点では文句の付けようも無い筈なのに。
たぶん心に響いてこないと感じるのは、そういった次元とは別種のことなんだろうな。と、そんな風に思うております。
午後7:55 ・ 2020年6月27日

ドストエフスキー「白夜」を読了。
「僕の頭の中では数万数千というバルブが開いて、僕は川があふれるように言葉を語り続けないではいられないんだ。そうでないと息が詰まりそうなんです」
「おお、神よ! 至福に満ちた一瞬! それだけでも、人間の一生を照らすのに十分なものではないか?」
午後8:04 ・ 2020年6月27日

少なくともこれは、僕が好きな『白夜』ではない、という感じが近いかも。
午後11:01 ・ 2020年6月27日



#30daysbookchallenge
30 今まさに読んでいる本 → ドストエフスキー/米川正夫・訳 『ドストエフスキー前期短編集』 福武文庫 ※<第二次ドストエフスキー読書マラソン>前哨戦、短編でまずは感覚取り戻して、そのうちに『未成年』と『カラマーゾフの兄弟』。
午後6:50 ・ 2020年6月30日

『ドストエフスキイ前期短編集』でしたな。
午後6:51 ・ 2020年6月30日



『ドストエフスキイ前期短編集』
米川正夫/訳 江川卓/解説
「初恋」
「クリスマスと結婚式 無名氏の手記より」
「ポルズンコフ」
「弱い心」
「鰐 パッサージュにおける突拍子もない出来事」
1987年5月 福武文庫

ドストエフスキー「初恋」を読了。
新訳が渇望される、ほろ苦セピア色な少年ときめき物語。
大人の世界を垣間見たときの心の揺れと高まりを巧みに掬いあげた、奇跡の一品と言えます。
ペトラシェフスキイ事件に連座しての判決待ちの間に書かれたのが、逆に本作を一際瑞々しいものにしている。
午後7:15 ・ 2020年7月27日

5大長編しか読んだことのない人、「貧しい人々」「白夜」路線の作品を求める人には是非にもオススメな短編。
刊本によって「小さな英雄」などのタイトルもあるが、「初恋」という方がより本質に近く思うのは、本書で初めてこれを知ったがゆえの身贔屓でしょうか?
午後7:18 ・ 2020年7月27日

ドストエフスキー「クリスマスと結婚式」を読了。
ユリアン・マスタコーヴィチは愛ゆえにその少女を娶ったか。多少はそんな感情も生じたろうが、莫大な持参金に目が眩んでの婚姻と見るのが普通。が、かれの少女を見る眼差し、接するときの声音、態度に、まァ所謂アレなものを感じてしまいます。
午後7:41 ・ 2020年7月27日

将来の持参金を胸算用する姿に、空白の5年間にユリアンが結婚への道筋を付けていった周到さ・忍耐強さに、ちょっと怖くなったり呆れてしまったり。
語り手の結びの台詞、「それにしても、胸算用が鮮やかにいったもんだな!」(P87)が、全てを物語っていましょう。
が、決して嫌いになれない短編でした。
午後7:48 ・ 2020年7月27日

ドストエフスキー「ポルズンコフ」を読了。
4月1日のジョークがまるでジョークにならぬ結末を迎える、腹を抱えて笑いたくなる1編。〆のセリフがまたふるっている。
ユーモア小説というより、「他人の妻とベッドの下の夫」同様ドストエフスキー流笑劇、ヴォードヴィルと呼ぶが相応しい様です。
午後9:50 ・ 2020年7月3日

翻訳は米川正夫。前に読んだ「初恋」なんかよりはずっと読みやすく、すらすら前に読み進むことのできる訳文……やっぱり作品との相性って、あるのかもしれませんね。
改めて「初恋」と「クリスマスと結婚式」の感想ツイートを流します。
午後9:55 ・ 2020年7月3日

ドストエフスキー「弱い心」を読んでいるが、アルカーシャとヴァーシャの会話に出る"ユリアン・マスタコーヴィチ"。
かれは「クリスマスと結婚式」に登場して、見事持参金50万ルーブリを持つ少女と結婚したユリアン・マスタコーヴィチと同一人物なのだろうか?

まだ読み始めで佳境に入ったかどうかのところなので、実施とのところはまだ不明。このツイートは備忘、ってことで。真相判明されるならばこれからか。
午後1:03 ・ 2020年7月4日

Желаю удачи! Я тебя люблю.
がんばってね! 応援しています。
午後10:43 ・ 2020年7月4日

ドストエフスキー「弱い心」を読了。
短編でベスト・ワンに挙げたいのがこの「弱い心」です。
とはいえ、本作の感想を呟くのは難しい。あまりに気持ちが入り込んでいるし、なかなか冷静になれないから。
主人公のヴァーシャが自分自身のように、或いは自分の影のように思えてならないのです。
午後8:08 ・ 2020年7月27日

でも何かに憑かれたように快活さを失い、暗い想念に搦め捕られるヴァーシャの姿に心魅せられる人は多いのでは。
少なくともわたくしのなかでは、かのスタヴローギンやラスコーリニコフと同じ位、鮮烈な印象を残してなかなか消えてくれない人物なのであります。
少し経ったら、また読み返そう。
午後8:11 ・ 2020年7月27日

キリンシティでドストエフスキーを読むのは、最高だ。殊にそれが米川正夫の訳で読むユーモア小説「鰐」となれば。
黒生飲みかけで、すまぬ。
午後7:14 ・ 2020年7月9日

ドストエフスキー「鰐」を読了。訳者は米川正夫。
以前の江川訳に較べて米川訳はペーソスやメランコリーっていった部分がより際立っていて、正直ユーモア小説、滑稽小説なんて呼べない地点へ達している様に思った。訳者の性格とか原作との相性とか色々あって、翻訳って難しいけど面白いね。
午後3:08 ・ 2020年7月11日

訳者を変えて2度目の読書とあって全体の流れはわかっているというのも、今回の米川へ没頭できた理由なのかもしれない、という自己分析。
午後3:09 ・ 2020年7月11日

もう一つ言うと、米川正夫訳『ドストエフスキイ前期短編集』(福武文庫)読了。正味6日の愉しい読書時間でありました。
午後3:11 ・ 2020年7月11日



『ドストエフスキイ後期短編集』
米川正夫/訳 江川卓/解説
「やさしい女」
「ボボーク」
「キリストのヨルカに召されし少年」
「百姓マレイ」
「百歳の老婆」
「宣告」
「現代生活から取った暴露小説のプラン」
「おかしな人間の夢」
1987年7月 福武文庫

ドストエフスキー「やさしい女」を読了。
厳格を旨とするチトSな男とメンヘラ気味な娘の歳の差夫婦。
それまでの愛し方を精算して再出発を誓う夫と、その変わり様に却って重苦しさを感じて耐えきれなくなった妻の対比が鮮やかに描かれるクライマックスは凄惨と言える。
内的独白文の終着点。
午前0:02 ・ 2020年7月17日

休みの午後を費やして、ドストエフスキー後期の短編、「おとなしい女」を読み比べ。
米川正夫訳で意味の?め塗り部分の確認から始まった読み比べでしたが、言葉の選択に訳者はどんな苦心をしたのか、あるいは易々と選び得たのか、興味は尽きず。
が、読めば読む程感想から遠ざかってしまう……。
午後11:38 ・ 2020年7月16日

訂正
× ?め塗り部分の
○ ?めぬ部分の
午前0:04 ・ 2020年7月17日

ドストエフスキー「ボボーク」を読了。
沼野充義編『ロシア怪談集』でも思ったが、本作はもっと笑いの要素がクローズアップされて良い筈。腹を抱えて笑い転げられる筈の作。が、未だそんな翻訳に出会えないでいる。ここでの米川正夫の訳は全く感心しない。横の物を縦に置き換えただけの代物。
午後8:27 ・ 2020年7月17日

テンポが悪い。ポリフォニーもカーニバルも、米川訳にあっては何故か一掃されている。
墓場を舞台に死者たちの言いたい放題な会話を記録した陽気な作品……であるのに。バフチンの提唱したポリフォニーやカーニバル性の絶妙なるサンプル作品であるのに。嗚呼!
午後8:37 ・ 2020年7月17日

このドストエフスキーの実験精神が溢れたユーモア小説の快作、「ボボーク」の新たな日本語訳について叶わぬ願いと分かっちゃいるが敢えて言う、浅倉久志や大森望に英訳からの重訳で良いから手掛けてほしかった、と。
午後8:41 ・ 2020年7月17日

ドストエフスキー「キリストのヨルカに召されし少年」を読了。米川正夫訳。
ああ、自分はこの手の作品に弱いことを改めて実感。だれの訳であっても(今更ながら失礼だな、と思う)少年のいじましさはきらきら輝いている。
この掌編には〈フランダースの犬〉系なラストしかあり得ない。好き。
午後7:40 ・ 2020年7月18日

ドストエフスキーの優しさやあたたかさが伝わってくる、或る意味で『作家の日記』に収められた創作のうち、作者の人間性をじかに感じられる一編といえるかもしれません。
午後7:43 ・ 2020年7月18日

ドストエフスキー「百姓マレイ」を読了。米川正夫訳。
シベリア生活で回想されるからこそ、本作の郷愁や幸福感が強調され、追憶のなかの人たちがより愛おしく想えるのかな。
そういう人が誰にも何人かはいる。この掌編を読んでいると愛すべき死者たちの想い出が溢れてきて、泣けてしまう。
午後8:23 ・ 2020年7月18日

「わたしが寝板から下りて、あたりを見まわした時、今でも覚えているが、忽然として、『今こそ自分はこれらの不幸な人々をぜんぜん別な目で見ることができる』と直感した。そして、急になにかある奇跡によって、あれほどの憎悪と毒念がわたしの胸から、残りなく消えたような気がした」(福武文庫P154)
午後8:48 ・ 2020年7月18日

『死の家の記録』とあわせて、次は読もう。
午後8:49 ・ 2020年7月18日

一読「なんだかなぁ」っていう外国小説にそれ以外の翻訳があるならば、まずは探して読んでみるのが良い。違う感想を持つことが必ずできる筈。もしかするとそれは、生涯の伴侶となり得る作品であるかもしれない。放り投げないで、もういっぺんチャレンジしてみよう。
午後8:29 ・ 2020年7月18日

ドストエフスキー「百歳の老婆」を読了。
肩に手を置かれた人物は「勘弁してくれ!」と言うかもしれないが、この老婆の様な最期を迎えるのは理想かもしれない。家族や知った人と最後に会い、彼らのいる中で静かに、まるでまだ生きているかの様な表情で逝く事は。こんな臨終だったらなあ。
午後9:07 ・ 2020年7月19日

ドストエフスキー「宣告」を読了。
何遍読んでもさっぱり分からず、新潮社版全集『作家の日記』(川端香男里・訳)でようやっと、そういうことが書いてあったのか、と合点する。
意識の問題を通じて己の存在に義を呈し、挙げ句己の中から自然を殲滅するために自殺する男の独白。
午後10:53 ・ 2020年7月21日

『地下生活者の手記』以来の意識の問題が晩年に至るも継続されており、未だ決着を見ていないことを知らされる。
これにどう決着をつけ、或いは小説に開花させるつもりだったのか、など考え始めるとどんどん想像が広がってゆきます。

──米川正夫は斯様な理詰めの文章を訳すのは不得手だったのか?
午後10:57 ・ 2020年7月21日

なお、「宣告」が載る直前の記事に「やさしい女」の典拠になった自殺事件が取り上げられています。
『作家の日記』1876年10月「二つの自殺」新潮社版全集第18巻P161
午後11:04 ・ 2020年7月21日

ドストエフスキー「現代生活から取った暴露小説のプラン」を読了。
栄達を見込めぬ官吏が昏い楽しみに耽る一編。初めの珍妙な日本語につまづいたが、読み進めれば身につまされる話であった。
形を変えて名分を変えて、自分もこの官吏と同じ事をしているかもしれない。そう思うと身慄いがする。
午後7:01 ・ 2020年7月21日

前述の「珍妙な日本語」ですが、「わたしはまだ匿名の悪口者のことを終わってはいないのだ」というのがそれ(P182)。
新潮社版全集を紐解いて解決したのは、『作家の日記』で「現代生活から取った暴露小説のプラン」が直前のエッセイ「悪口を書いた匿名の手紙について」を承けたものであった事。
午後10:46 ・ 2020年7月21日

これは或る意味で結構怖い小説(?)です。
午後11:06 ・ 2020年7月21日

ドストエフスキー「おかしな人間の夢」を読了。米川正夫。
流石に馴染んだ所為か、読むに際して刹那の停滞も無し。とはいえ、光文社古典新訳文庫の印象をなぞる形での読書となった。
〈汝自分を愛するが如く隣人を愛せ〉の実践伝道に身を捧ぐ語り手に、パウロの姿を重ねるのは私だけですか?
午後1:03 ・ 2020年7月22日

因みにどうした理由か「おかしな人間の夢」は、古典新訳文庫も新潮社版全集も今回の福武文庫も、中央線で西荻窪へ向かう車中で読み始め、読み終わっている偶然(?)をご報告しておきます。
まぁ、もう一つ偶然を挙げれば、読み終わるまで降りないと決めて実際降りた駅が常に武蔵境である事ですか。
午後2:55 ・ 2020年7月22日

このあと、光文社古典新訳文庫のD『貧しき人々』へ進む前に(作品としては読み直す前に)、ゴーゴリ『外套』とプーシキン『ベールキン物語』を読んでおきます。
午後7:20 ・ 2020年7月22日

米川正夫訳『ドストエフスキイ前期短編集』と『ドストエフスキイ後期短編集』(福武文庫)を読了。
『後期短編集』については『前期』同様、正味10日の読書でした。
午前1:32 ・ 2020年7月23日



ドストエフスキーの短編集に載る作品すべてについて、『前期短編集』「弱い心」(米川正夫・訳)を以て感想の呟きを完了しました。
明日更新予定のブログで、ツイートした感想を取り纏めます。長くなるけれど、現在鋭意編集作業が進行中。
……というて過去のツイートの削除を行うわけではないので、予めご了承の程を。
午後8:15 ・ 2020年7月27日◆

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