第2902日目 〈綺想社ハワード作品集の登場を喜ぶ。〉 [日々の思い・独り言]

 顧みるまでもなくわたくしは、<剣と魔法の物語>の良い読者ではなかった。これまでに読んだこのジャンルの作物で楽しんで読んだといえば、精々がフリッツ・ライバー《ファファード&グレイマウザー》シリーズぐらいである。これとて当時の環境が斯く為さしめたに過ぎず、ゆえに本心から<剣と魔法の物語>を悦びのうちに歓迎したわけではない。
 ではわたくしが初めて<剣と魔法の物語>に触れたのは、誰の作品であったか。王道の展開ではあるが、ロバート・E・ハワードの《コナン》シリーズなのだ。ただし、それが初めて読んだハワード作品ではない(ややこしい話で済まぬ)。その作品がなんであったか、どう思い出そうとしても定かでないのは、時期が非常に接近しているためだ。が、これらのうちのいずれかであるのは間違いない……即ち、──
 候補その1;「暗黒の種族」 『ミステリ・マガジン』(早川書房)1973年11月号「アーカム・ハウスの住人たち」 仁賀克雄・訳
 候補その2;「影の王国」(キング・カル) 『ウィアード・テールズ』第2巻(国書刊行会) 三崎沖元・訳
 候補その3;「はばたく悪鬼」 『ウィアード・テールズ』第3巻(国書刊行会) 今村哲也・訳
この、いずれか。
 いずれもアンソロジーの1編として読んだせいか、読後感は稀薄で、当時ハワード作品を読み耽ってこれらの作品を未読であった知己にコピーを送る際添えた手紙につらつら感想など認めたはしたけれど、実際にどんな言葉を書き連ねていたか、まるで覚えていない。書簡ファイルを引っ張り出せば、すぐにここに引用できるのだが……。とまれ、四半世紀後まで覚えている程あざやかな読後感は抱かなかった、というのが実際のようだ。
 じつは高校時代の部活の後輩たち(いまは皆、良き生涯の友となっている。サンキー・サイ)と上述の知己はいずれ劣らぬ<剣と魔法の物語>のファンで、殊ハヤカワSF文庫から出ていた荒俣宏・訳《コナン》シリーズを愛読して、その熱中は聞かされているこちらをして思わず引いてしまうぐらいであったよ。わたくしは残念ながら終ぞそれらに魅力を感じることができず、かれらの熱中熱狂に付いてゆけぬところがあったのも手伝い、生島遼一のフローベールの講義を聞いていた時分の生田耕作先生よろしく、「そんなもの、どこが面白いんですか?」としらけた気分になっていたのが正直なところである。
 <剣と魔法の物語>についてはあれから今日に至るまで、基本的なスタンスは変わっていない──読めば面白いな、と感じはしても、それが持続可能な情熱へと変質することはなく、一時的な気晴らしに止まっているのだ。加えていえば、《ファファード&グレイマウザー》に優った<剣と魔法の物語>に出会えていないという時点で、積極的にこのジャンルを開拓してみる気になっていない証拠ですね。もう10年ぐらい経つのか、創元推理文庫から新訂版《コナン》シリーズが刊行されて発売日の度毎に購い揃えていったが、これとて実を申せば、資料として都度買い集めていたのが殆ど正解である。
 もっとも、ファンタジー小説なる代物を敬遠していたわけでは断じて、ない。上述の新訂版《コナン》シリーズを揃えていた頃には既に、不幸な形ではあったが真に優れたファンタジー小説の偉大なる回復力と想像力へ敬意を表し、またそれらに治癒されていたところでもあったから……(このあたりのことは改めてお話するが、もしかするとそれは現在書き進めている自伝的なエッセイの一部になるかもしれない)。にもかかわらず、件の新しい《コナン》シリーズを通読することがいまに至るもなかったのは、自分のなかの<なにか>がハワードの代名詞たる冒険ファンタジーの巨編を拒んでいるからなのだろう。そのくせ、かれの怪奇小説は幾編かなりとも妙に心惹かれ、読み返すこと両手の指をすべて折って数えてもたらぬ程なのは、まぁわたくしの興味嗜好が奈辺にあるかを示す良き証左といえようか。
 斯様なことはありながら、それでもハワードの小説をもっと読んでみたい、と思い思いして過ごしてきたのもまた、否定できぬ事実なのだ。前述の「アーカム・ハウスの住人たち」や那智史郎・宮壁定雄『ウィアード・テールズ』別巻(国書刊行会)で素っ気なく触れられる、不況下のアメリカにあってハワードが生活のために種々のパルプ・マガジンへ書き散らした多彩なジャンルの小説群──就中《船乗りコスティガン》に代表されるユーモア・ボクシング小説、スティ−ヴ・ハリソンを主役に据えた探偵小説、立ち寄る港毎に女を置くワイルド・ビル・クラントン主演のスパイシー(お色気)小説、ウェスタン小説を。嗚呼、読みたや読みたし。
 バブル崩壊の煽りを直接喰らって就職浪人をしていた20代前半は、或る意味で時間だけは有り余っていたものだから、学生時代にもまして神保町や高田馬場、地元横浜や横須賀、鎌倉、藤沢で洋書専らペーパーバックを扱う古書店を巡回して、怪奇小説やロマンス小説、ウェスタン小説を漁るのを日課のようにしていたが、そんなときでも目にするハワード作品は<剣と魔法の物語>に属する物語ばかり。いずれも却下、俺が読みたいハワードはヒロイック・ファンタジーにあらず。……いまにして思えば随分と勿体ない猟書であったな。もしかしたらフラゼッタが表紙絵を描いた本だって、そこにはあったかもしれないのにね。呵呵。
 いや、でもね、聞いてくださいってば。あの頃の銀座イエナや日本橋丸善、東京泰文社、北沢書店、先生堂その他諸々見掛けるハワード作品は軒並みあの手の小説ばかりだったんですよ、ホントに。それこそ、またかよ、と呻きたくなるぐらいに。まぁ、本気で探していたかと訊かれれば、「否」といわざるを得ない。軍資金不足という如何ともし難い大きな理由により。
 歳月は流れ、自分自身と取り巻く環境も大きく変化し、世紀と元号が新たになり、今日に至る。そうして今年2020年、ハワード小説をめぐる事態は一変した。一変した、というのはあくまで個人レヴェルの話である。つまり、──
 1月、ひょんなことからわたくしは、1冊のペーパーバックを手に入れた。GLENN LOAD編『THE BOOK OF ROBERT E.HOWARD』Barkley 1980;だいぶ前にと或る個人ブログで紹介されていたのを思い出して、勇を鼓して求めたものである。ハワードの文業を多方面からアプローチするに好適の1冊で、これまで読みたいと思うていた《船乗りコスティガン》やウェスタン小説、探偵小説他が1作ずつ、ここには載せられていたのである。
 さっそく一読して唸らされた。質にムラがあるというが、わたくしにはどれも面白く感じた。むろん、探偵小説に食い足りぬ読後感があったり、肩すかしを喰らわされた1編だってある。なんというてもこのジャンル、ハワード自身が「読み通すこともできないのに、ましてや書くことなど」と白状している程だ。推理というものに向いていなかったハワードの創作スタイルですが、じゃぁなんで書いたのか、となると前述の通り生活のためあちこちのパルプ・マガジンに売りこまざるを得なかったから。が、それでもそこそこ面白いと感じてしまうのは、こちらの脳ミソの単純さはこの際棚にあげておくとして、どんな物語でもつまらなく語ることができないハワードの天賦の才能ゆえであろう、とひとまずは結論づけたい。
 調べてみるとGLENN編のこのハワード作品集には、続刊がある由。『THE SECOND BOOK OF ROBERT E.HOWARD』がそれであるが、この人にはハワードの伝記もあるのね。あわせてAmazonで注文しておこう。そんな次第で、未だ本丸攻略に至らざるなり、の感は否めぬが、ハワードの作品をかつてよりも面白く読めるようになったのは事実だ。こうなると、もう駄目だ。次に心奥に生まれるはこれら知られざるハワードのオモシロ小説を、誰か日本語で読めるよう尽くしてくれないか、ということ。やはり辞書の助けなく物語に入りこみたいよ。が、そんな期待は同時に諦めを伴って立ち現れる。いったいどこにそんな酔狂漢がいるというのか、と。
 嗚呼、わたくしはこのときまだ知らなかったのだ。既に斯様な人物が存在しており、その人が訳業の上梓に向けて自費出版の準備を進めていることを。件の期待と諦めが落ち着きを取り戻した頃、TwitterのTLに流れてきたツイートを目にしたときの驚きは、いまでも覚えている。──ロバート・E・ハワードの、ワイルド・ビル・クラントン主演のスパイシー小説を集めた『地獄船の娘 ─竜涎香の秘寶─』が綺想社から出版、書肆盛林堂にて販売されるというのだ。頒価、4,500円也。
 胸は高鳴り、心に迷いはなかった。そのとき既に書肆盛林堂のHPで幾冊か予約注文していたものだから、これ以上の出費は正直避けたかったのだけれど、この機会を逃したらかならず後悔する、と嫌になる程骨身に染みてわかっているので(ダンセイニ卿『ロマンス』や山田一夫『初稿 夢を孕む女』などでの苦い経験から)、お金の算段はあとでつけるとしてとにもかくにも確保を優先とした……つまり、「カートに入れる」ボタンをポチり、購入手続きを済ませたのである。そうして次の次の休みの日、西荻窪へ出掛けてかの1冊を手にしたときの無上の喜び──I sing the body electoric!
 喜びはなお継続する。綺想社からのハワード作品集の出版はこの1冊にとどまらず、今月8日にはソロモン・ケインを主人公とする、コナンと並ぶハワードの人気ヒロイック・ファンタジーの作品集全2冊のうち第1分冊が発売された。勿論、既に予約済みだ。いまから引き取りに行くのが楽しみでならない。
 願わくばこのムーヴメントが綺想社のみのそれに止まることなく、その筋の出版社が食指を動かし作品集の上梓実現を果たしてくれますように。何度も繰り返して恐縮だけれど、《船乗りコスティガン》シリーズ、シリーズ・ノンシリーズ不問でウェスタン小説の数々の小説が、上質の訳文で個々に編まれて、詳細な解題を含めて出版されることを、わたくしは切に期待する。また、これを契機にアトリエ・サードのナイトランド叢書からも新しいハワード怪奇小説傑作選が編まれることも、併せて。

 現在、21時34分。既述のスターバックスにわたくしはまだ陣取っている。同じ席で。閉店時刻(22時30分)まで1時間を切ったが、さっきとお客さんの数は然程変化していないように見受けられる。気のせいか、否、事実だ。
 みなとみらい — 桜木町の一帯に今年、約1,000頭(匹?)からなるピカチュウ軍団は”大発生”しない。どこを見ても黄色い奴がニッコリしていた、場合によっては大行進していたり日本丸の傍らでダンスしている光景を、今年はコロナ禍により見ることができない。いればいたでウザいが、いないとなると途端に淋しくなる。
 そんな身勝手なことを思いながら、さて、それではそろそろ腰をあげて帰宅の途に就くとしよう。明日は久々の休みだ。親戚の新盆で贈るお供え物を買いに出掛ける他は、特になんの予定もない。この文章を書いて触発されたからではけっしてないけれど、午後は『地獄船の娘』から未読の2編と、『失われた者たちの谷』収録の何編かを、ベッドに寝っ転がって読もう。
 Let’s call it a day.◆

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