第2936日目 〈ぼくの命を救ってくれて、ありがとう。──Huey Lewis & The News - I Am There For You (official video)〉 [日々の思い・独り言]

 むかし話をさせてください。
 19年前、はじめてアメリカへ行きました。友だちからの招待でした。到着したのは夜も遅い時間。出迎えに来てくれていた友だちの家にその晩は泊まり、翌朝、かれの勤務先の入るビルの前で別れました。
 「ランチは無理だけど、ディナーを一緒にしよう。積もる話をその時に」
 それが彼と交わした、最後の会話でした。パリッ、とスーツを着こなしたビジネスマンたちが、逆方向へ足早に歩いてゆく。どれぐらい歩いたのかな。突然まわりが真っ暗になりました。その数秒後、だと思います。頭上で鼓膜が破れるような音がしたのは。
 その瞬間、世界から音が消えました。本当に鼓膜が破れたのではないか、と怖くなり、耳許で指を鳴らした。聞こえてきたのは指を鳴らす音だけでは、なかった。まわりにいた人たちが何か叫んでいる。みんな、上を見あげている。
 振り返ると、ビルから黒煙が上っていました。ぱっくりと壁に裂け目ができ、ニッ、と笑っているような形でした。Oの字に開いた口からは、言葉がなにも出て来なかった。舌が震えているのは辛うじて分かるけれど、喉の奥からはどんな言葉も出てこなかった。
 ふたたび同じように空が陰り、轟音が降ってきた。どれぐらいの時間が経ったのか、そうして、2つのビルが倒壊を始めた。後年になってその時の映像を観た、紹介された遺族の言葉が突き刺さり、深く首肯した。曰く、あれは夫が死ぬ瞬間でもあったのです、と。
 誰かが、「逃げろ」と叫んだ、その声を合図に、一斉に人がこちらへ走ってくる。その場から動けずにいたぼくの腕を摑んで、黒人男性が「走れ」と言いました。よたつく足を交互に振り出して、のろのろと走った。友だちのことは脳裏になかった。その場を離れるだけが精一杯だった。
 どんな経緯を辿ったのか、気附いたら病院にいた。廊下の簡易ベッドに寝かされて、なにか質問されているらしいが、よく聞こえない。聞き取れない。問答無用で体を調べられ、治療を施されたのは覚えている。言われてみると、後頭部に軽い痺れが慢性的に走っている。背負っていたリュックは埃まみれで、刃先のなまくらな刃物で無理に裂いたような傷もあった。
 どんな人が病院に運びこんでくれたのか、分からなかった。探すことも問うことも忘れていたから。現場から離れることを促してくれた黒人男性とぼくを病院へ運びこんでくれた人がいなかったら、いま頃こんなのんびりとブログを書いたり、最後の恋に身をやつすこともなかった筈。
 そうして、病院で言葉の通じない日本人を相手に治療を施してくださった病院のスタッフに、心よりの感謝を捧げます。命の恩人、という言葉は時にやたら陳腐に、軽々しく扱われる。しかし、あの日からこの言葉を誰彼に安易に用いたことは、一度もない。
 ──いま世界は新型コロナウィルスによって犠牲を強いられている。一部の職業の方々に尋常でない負担を掛けてしまっている。それに対して心ない言葉を浴びせ、行動を取る人たちがいる。信じられない思いだ。どうか、あなたたちの信念と決意が、未来に光と希望と救いをもたらしてくれますように。医療に関わるすべての人たちへ。ありがとうございます。◆

 Huey Lewis & The News - I Am There For You (official video)
 https://www.youtube.com/c/hueylewisofficial




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