第2945日目 〈三上延『ビブリア古書堂の事件手帖 Ⅱ 〜扉子と空白の時〜』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 令和3(2021)年になって初めて読んだ小説は、三上延『ビブリア古書堂の事件手帖 Ⅱ 〜扉子と空白の時〜』(メディアワークス文庫 2020/07)でした。1月23日から25日午前1時ちょっと過ぎまでの間で、読んだ。
 先月あたりはずっと教養書の類を新書中心で読み耽っていたから、久々のフィクションはとても新鮮でした。どういうところが? 描かれた光景を想像して自分だけの映像作品を作り出すこと、これが──単純だけれどいちばんかな。当然作者が思い描いたそれや他の読者がイメージしたものとは、フィルムの質感もカメラのアングルも、キャスティングも(もしかしたらロケーションさえ!)異なるだろう。が、それこそが小説を読むことの醍醐味、面白さといえましょう。
 ──が、これはあくまで久しぶりに読んだ<小説>というジャンルに触れての感慨。作品としての感想ではけっしてないことは、ご理解いただきたいと思います。
 2011年3月刊の第1巻からずっと発売日のたびに購入して追いかけ続けたシリーズが、2017年2月に第7巻を以て完結したときは本当に淋しかった。もうなんの愉しみもなくなった、嗚呼明日からこの世は闇じゃ、と嗟嘆した程。それでも心に灯った唯一の希望というか救いは、第7巻あとがきにて作者が宣言していたスピンオフ作品の存在。あと何冊かは(読者の皆さんに)読んでいただけることでしょう、という予告。もっとも、当時に於いてすらこれを<福音>とまでは思うていなかったあたりに、さしたる期待を抱いていなかった当時のわたくしを見ることが可能であります。
 それはともかく。
 幾許かの不安を孕みながらも期待していた<それ>が書店の店頭に並んだのは案外早く、翌2018年9月のこと。『ビブリア古書堂の事件手帖 〜扉子と不思議な客人たち〜』は、夫婦になった栞子と大輔の娘扉子の紹介とタイトルの回収のエピソードを枠組みにして、まだ独身の頃の2人と古書にまつわるミステリが3編、収まる。
 そうして今回読んだ『ビブリア古書堂の事件手帖 Ⅱ 〜扉子と空白の時〜』ではその扉子もメイン・ストーリーにかかわってゆくまでに成長した。加えて彼女は終盤に於いて初めて、祖母篠川智恵子と対面する。むろん、そこに祖母と孫のあたたかな交情など流れることはない。篠川智恵子のラスボス感、未だ健在、である。
 この最新作で取り挙げられる作家は横溝正史、俎上に上る作品は『獄門島』と『雪割草』だ。比重の置かれる『雪割草』は横溝の長いキャリア、数多の作品のなかでも「幻」とされており、内容に至っては原稿が断片的に残るのみでその実態、実像は杳として知れず、掲載誌紙さえ近年まで推測の域を出なかった代物である。
 現実世界に於いては戎光祥出版から2018年3月、単行本として刊行されたが、『〜扉子と空白の時〜』第1章では、掲載紙から切り抜かれて自家製本された1冊をめぐる謎に、栞子たちが挑むことになる。このとき解決できなかった謎が第3章でいちおう解き明かされるのだが、その後味はけっして良いものではない。序にいうと、この自家製本された『雪割草』を所有していた家族とあの人がかかわりを持っていたことが語られて、最新作の幕は閉じる──ああ、やっぱりそうなんだ、という予定調和を交えつつ。
 横溝正史のファンとして、本作はじゅうぶんに愉しめるものでした。それなのに、発売日に買って爾来いつでも手に取れる場所にありながら手に取り全編を読み通すことがなかったのは、扉子の人物造形がどうにも好きになれなかったから。この1点に尽きる。顧みればキャラクター小説なる呼称が生まれたのは偏に『ビブリア古書堂の事件手帖』のヒットに由来する。そのキャラクター小説の雄として、幾人もの忘れ難き登場人物を輩出してきた作品でありながら、殊ここに至ってまるで魅力の感じられぬ不明瞭なキャラクターが──よりにもよって主役二人の子供として作り出されたのはどうしてなんだ、という意味で、わたくしは篠川扉子という人物がまったく好きになれない。読み返してみても、然り。
 智恵子の孫、栞子の娘となればあのようなキャラクター造形になるのは不可避だろうが、なんだか扉子という人物の描写が他に較べて──本書初登場の人物を含めて考えても──ひと味もふた味も薄いように映るのだ。粘土をこねくり回してヒトの形に仕立てた代物へ中途半端に命を与えてむりやりストーリーの展開に従って動かしているような印象を抱くのです。これを一言で表現すれば、まるで魅力がない、という風にもなりますか。
 続刊を待たずしてこのような発言はどうかと思うのだが、本書を読む限りではシリーズ再始動は失敗だったと思う。スピンオフの短編集やスペシャルのような形で、ほんの2、3冊を提供してくれる方が良かったかな。
 とはいえ、せっかく始まった第2シリーズである。やはりファンとしては新作が出るたび買いこんで、すぐに読むかは別としてもその物語、古書が紡ぐ人の縁の物語を堪能することになるのです。んんん、ファンって厄介な人種だね。アニー・ウィルクス程ではないと自覚しているけれど。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。