第2946日目 〈『ワインズバーグ、オハイオ』はS.キングの小説世界を思わせる。〉 [日々の思い・独り言]

 いま、シャーウッド・アンダーソンの代表作『ワインズバーグ、オハイオ』(上岡信雄・訳 新潮文庫 2018/07)を読んでいる。小説に戻るため、もうすこしはっきりいえば外国の小説を読むためのチューニングのため、この、アメリカの片田舎にあるスモールタウンを舞台にしたオムニバス小説集を選んだのだ。全体の分量も、1編の長さも、チューニング或いはリハビリ目的の読書には相応しい……。
 『ワインズバーグ、オハイオ』をジャンピング・ボードにしてその次になにを読むつもりでいたのか。厳密にいえば、誰の著作を読むことを目論んでいるのか。筆頭にあがるのはドストエフスキーで、たしかに小説読書に戻る際、脳裏をかすめて刹那ながら検討した名前ではある。いまでも可能性はゼロではないけれど、正直にいおう、その実現はおそらくあり得ぬ。すくなくとも今回は。「ネートチカ・ネズワーノワ」で懲りた部分もある。為、しばらくこの文豪にはカーテンの陰で待機していてほしい。それが偽りなき本音。
 でも、ドストエフスキー読書……名附けて〈第三次ドストエフスキー読書マラソン〉に戻ることは、確信を持って断言できる。もしかするとそれが前回同様10年の隔たりを置くことに、仮になったとしても。だって全集でしか読めない文豪ならではのユーモア中編「ステパンチコヴォ村とその住人」や「伯父様の夢」(3)、「冬に記す夏の印象」(6)を片附けて本来の目的であった『未成年』と『カラマーゾフの兄弟』てふ高峰を踏破したい気持ちは、いまでもはっきり心のなかに残っているから。
 が、いまはドストエフスキーの小説を読んで鬱々とした気分になったり神経症の追体験をしたり、眠くなる目をこすりながら気を奮い立たせて本のページを繰るようなことは避けたいのだ。単純に、物語の面白さに没頭できて、読んでいる間はいま生きている浮世/憂き世の辛苦から(就中……の件等)忘れられるような小説が読みたい。この願望ゆえにドストエフスキーは候補から外れる。
 では、誰が? who is the author?
 そんな作家は、倩考え書架を見渡すまでもなく、すぐに思い浮かぶ。この人を除いて誰が、他に? どんなに高名、或いは人気あり、わたくしが好む作家であったとしても、日本語で読める作品をすべて所持していながら未読の山を眺めつつ死んでゆくことを潔しとしない作家なぞ、おお、果たしてこれまでこの世に存在していたであろうか? 否、ない。その人こそ、<わが神>スティーヴン・キング。
 幸いなことに翻訳されたキング作品はすべて──角川文庫版《ダーク・タワー》シリーズを除いて──片っ端から買いこんで、1冊たりとも漏れはない。アンソロジーも、バッチリ買ってある。そうして不幸にも、実は『セル』以後は短編集『夕暮れをすぎて』『夜がはじまるとき』(文春文庫)を例外として他はすべてが未読のままだ(『セル』以後って!!?)。いい方を換えよう、即ち向こう1年半程度は読む小説に不足なし、と。不幸? いまになっては幸福かもしれないね。サンキー・サイ。
 ──と、ここで話は『ワインズバーグ、オハイオ』に戻る。
 今日ふと思い立ったのだ、もしかするとこの小説を選び、読んでいるのは、偶然でも気紛れでもなんでもなく、あらかじめ読むと決めていたキング・ワールドへ帰還するための試金石的意味合いがあったのかもしれない、と。
 『ワインズバーグ、オハイオ』はオハイオ州の架空の町、ワインズバーグを舞台にした群像劇である。多くの人が入れ替わり立ち替わり現れては退場して、読者たるわれらへ自分たちの声を届けに来る。ワインズバーグで生きる普通の人々の生活感情、心の影、秘密などをちりばめた掌編を新聞記者ジョージ・ウィラードをキーマンにしてまとめたのが、『ワインズバーグ、オハイオ』なのだ。
 翻ってキングの小説もメイン州のスモールタウンを舞台にしており、そんな観点から『ワインズバーグ、オハイオ』の系譜に列なり、そのエコーを孕むというてよいだろう。また、マルチ・キャラクターによって物語が動き、彩られている点も、『ワインズバーグ、オハイオ』との共通項と捉えることができる。キングの場合はこれに加えて長編なるがゆえにマルチ・プロットという特徴も持つけれど、ここで触れるのは避けよう。
 短めの外国小説でチューニングしてからキングに移ろうかな、という程度の、特になんの考えもなしに選んだ『ワインズバーグ、オハイオ』であったが、結果として本作にキング作品の遠い縁者の姿を見た気分である──プロトタイプとかルーツとかいうよりも、<縁者>てふ表現がぴったりではないかな。
 そんな発見、気附きに至福の喜びを感じて、それを思わず筆を手にして一心不乱にモレスキンに向かって書きあげ、MBAで清書して、こうして読者諸兄にお披露目しているのが本稿である。こうした類の読書の「愉悦」、なかなか経験できるものではない。違うかな、どうだろうか?◆

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