第2948日目 〈Macのなかに残った、長編小説(未完)のファイル。〉 [日々の思い・独り言]

 何歳になっても自分の未来はしかと思い描けぬもののようであります。判断/結論を先方に委ねて、いまわたくしは審判の日(doomsday)を待つ身。鬱悶の心に囚われがちで、猜疑に自分を傷附け、負の思いに挫けまいと望む未来の実現を夢に思い描いて辛うじて今日を生き延びることができている。もう人生を半分以上もやって来たのに、未だ身の振り方が不明瞭というのは情けないと感じないではないが、そのための<鍵>が先方の手中にあるとなっては正直なところ、前に進むことも後ろに退くこともできないのだ。かというて現状維持、その場に待機というのもこれがまた辛いものでして……。
 ──そんなことを考えながら、iCloudストレージの容量無し、保存不可、のメッセージに驚愕して落ち着きを取り戻した後PC内のファイルを軒並み総点検しているのだが、その過程でずっと気に掛かりながらも再度筆を執ることを避けてきた小説の原稿やプロット、DLした資料を発見した。かつて本ブログでも分載したことのある小説『それを望むものに』の完結編たる長編小説の原稿等である。
 『それを望むものに』がどのような作品であったか、述べるのは省く。読んでください。
 もう10年以上前に書きあげた該作だが、当初は続きを書くつもりなどまったくなかった。夫婦の行く末は気になっていたが、敢えてふたたび筆を執ることはない、と思うていたのである。それが考えを改めて第2作を3年程前、仕事帰りの四谷のスタバで書き進めることになったのは、よみがえりの代償にまつわる諸々が自分のなかで決められ、整理され、あるべき形を結んだからだ。舞台を第2の故郷、静岡県沼津市に設定したことも、2作目執筆の原動力になった。特に事件が起きるわけでもなく、夫婦の静かだが小さな不安を孕んだ日常を綴った本作が、わたくしはとりわけ気に入っている。
 そうして既述の完結編たる長編小説に話題はつながるのだが、こちらは、まぁ様々な理由でこちらの手に余るところが多くあり、また同時に執筆に割く時間の否応なき減少も手伝って、次第にこの長編小説から遠ざかってしまったことだけを、ここでは述べるに留めよう。
 此度ファイルを呼び出して、原稿の書き上がっている部分を読み返し、また作成したプロットや登場人物評、諸資料を検めてみたあとの全体的な感想は、けっして悪い作品ではない、というもの。みくらさんさんか史上空前絶後の大傑作ではないけれど、読む価値なしと唾棄される程の代物でもない。これはきちんと最後まで完成させるに値する作品だ。そう結論したのである。
 さいわいなことにいま自分のなかで再び、小説読書の熱が湧き起こり、どうやら持続される模様だ。アンダーソンがキングに還るための助走役を担っているのは別稿にて述べたとおり。わたくしは常より──それこそ小説をちゃんと書き始めた高校生の頃から──キングの小説を読むことで自分の小説を書く力を分けてもらってきたので、おそらく今回もキングの小説を2作ぐらい読み進めたあたりから、この未完で棚上げした長編小説の執筆を再開するんじゃぁないのかな、とお気楽なことを考える今日。◆

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