第2950日目 〈選択肢がある、ということ──HPLの作品集に即して。〉 [日々の思い・独り言]

 新潮文庫からラヴクラフト作品集の第2弾が出たのを契機に、「よっしゃ、前に出た分もまとめて年末年始の休みに読んじゃおう」と企んだは良いものの、肝心の1冊目が部屋のどこを探しても出てこず、たぶんダンボール箱の積み重なった後ろの本棚にあるんだろう、と予測できてもそれらの山を崩す気になれないまま無為に時間が経過して、もう2月なのであります。勿論、未だに新潮文庫版作品集は手附かずのまま。星海社版は新しいのが出る都度読み進めているけれど、正直なところ読む度に訳文への違和感を拭えない……良い翻訳だとは思っているのだけれど、なんだかラヴクラフトの闇の熱気が希薄だな、という、読者の勝手なイチャモンです。
 しかし、なんと夢のような時代に巡り合わせたものかな。ラヴクラフトを読み始めた1980年代中葉といえば創元推理文庫が大西尹明と宇野利泰で2冊の傑作集を編んでそのままだったのを、翻訳を大瀧啓裕にゆだねて全集に鞍替え、同時に表紙カバーも現行のフィンレイ描く肖像画へ差し替えられた時期に相当する。国書刊行会から全10巻11冊の全集が順次刊行されたのも、やはり1980年代中葉でなかったか。手軽に読むなら創元推理文庫、小説以外の評論や書簡、詩などを読むのであれば国書版、という具合であった。そうしてこの2種類の全集が21世紀になるまではスタンダードなテキストであり続けた……それ以外の選択肢がなかった、という言い方もできるかな。
 いまや書店の店頭では当たり前のように、ラヴクラフトの名前を見出すことが可能だ。選ぶ余地が生まれたのである。慶事、というて良い。今後も他の版元が他の訳者を採用してラヴクラフト作品の新訳を出してくることだろう。それが粗末な訳文でないことを祈る。◆

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