第2952日目 〈荒俣宏『妖怪少年の日々 アラマタ自伝』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 いやぁ、なんでしょうか、この本は。ふしぎな本なのであります。
 実は雑誌『怪』、後には『怪と幽』に連載されていたものは断片的にしか読んでおらず、全体像を見渡すことができなかったこともあり、今回通して読んでみて、なんともケッタイな代物だわい、と感嘆・嗟嘆しつつ巻を閉じた次第なのでした。
 自伝と称しつつ南方熊楠の書簡の如く話題は幾度となく脱線し、そのたび読者は(はじめのうちこそ)面喰らいながらも新たな知の世界との遭遇に興奮、歓喜するのであります。<知の好奇心>のカタマリであり、それが該博な知識の獲得と浩瀚な著作を生み出す原動力となったのですから、まぁ、自伝と銘打ちながら民俗学や博物学、海洋生物の話が自然な流れで始まるのも道理といえましょう。が、純粋に「自伝」という観点から考えれば脱線を繰り返す本書でありますが、掲載誌の性格上、斯様な脱線は毎号楽しみにしていた読者諸氏にとっては想定圏内だったわけです。
 それでも柱になるのは、荒俣宏をいう怪人を作りあげた東京板橋の下町の風土と思い出のなかに残る友どちの素描に始まる前半生で出会った人々のメモワールと、中三の秋に購入したレ=ファニュとブラックウッドを発端とする怪奇幻想文学への尽きることのない情熱の吐露──一種の信仰告白(confession of faith)であります。
 後者についてはこれまでも著者自身、様々な著書で触れてきた部分ですが、本書ではそこにどのような人が関わって、その過程で如何なる日常の些事があったか、という点にまで踏みこんで語られているところが頗る新鮮で、また立体的に読者の前に再現されているのが魅力です。わたくしは特に、『リトル・ウィアード』創刊に至る悲喜交々な挿話の数々が印象強く残っております。
 前半生に出会った人々、殊に師匠と位置附けた幾人もの人々についての記述は、成る程、このようにして著者の精神史が構築されていったのか、と納得せざるを得ないところ。その分野に於いて、この人、と思い定めたら手紙を書いて<師匠>と慕い、学校の授業だけではとうてい賄えない量と質の知識を蓄えてゆく。このあたりは自分でも共感できるなぁ。生田先生に対するアプローチと親炙がまったく同じだったから。
 そんな多くの師匠を持つに至った荒俣少年(高校生男子を少年と呼ぶことに抵抗があるのは、果たしてわたくし1人だけ?)であったが、そんななかに、われらにとっても僥倖といえるエポック・メイキングな出会いがあった。荒俣にとって後年に至るまで決定的な影響を与えることになった人物との邂逅である。即ち、平井呈一の登場に他ならない。もう1人、同格の人物を挙げれば紀田順一郎がいる。
 平井呈一に関しては本書のなかで、これまで知られていなかった平井の父や双子の兄、平井自身の生涯の知られざる断片が幾つも幾つも取り挙げられているが、これは著者が自身最後の大仕事と位置附けた、5年の歳月を掛けて諸資料を篤志家の手を借りながら博捜し、関係者への取材を積み重ねて、昨年、『幻想と怪奇』第3号にてその完成を報告して京都の松籟社から刊行が予告されている「平井呈一年表」でも紹介される話題でありましょう。
 「必要なときに必要な人と会うことの大切さ、重要性」を荒俣は本書のなかでたびたび説き、自身の来し方を振り返ってその意義を噛みしめておりますが、おそらくそれは平井呈一にとっても同じであったに相違ありません。荒俣宏と紀田順一郎という年若の友を得てかれらが一家を成し、また東雅夫や南條竹則らの理解者を没後に持つことのできた平井にとって、かれらの存在や「平井呈一年表」の完成とやがての出版は、上田秋成の言葉を借りれば「生前の誹り、死後の誉れ」というに相応しいと思います。秋成といえば、本書360ページで触れられている年表の構成から推測するに、2013年に完本として復刊された高田衛『上田秋成年譜考説』(ぺりかん社)を想起させるものなのかしらん、と想像を逞しうしております。
 正直なところ、本書で触れられた博物学の話などわたくしは一知半解の域を出ぬ不勉強者でありますため、読み流したところが何箇所もあります。ただ読み流したままにしておくのはあまりに勿体ないので機を改めて挑戦してみたく考えております。
 咨、平井の双子の兄である二代目谷口喜作の著作全集を荒俣宏監修で、どなたか刊行してくれないものでしょうか?◆


妖怪少年の日々 アラマタ自伝 (角川書店単行本)



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