第3062日目 〈チェスターフィールド『わが息子よ、君はどう生きるか』を読みました。……何度目?〉 [日々の思い・独り言]

 就職浪人していた自分をどのように見ていたのか、いまとなっては知る由がない。が、当時父が買って渡してくれた2冊の本──『広辞苑』とチェスターフィールド『わが息子よ、君はどう生きるか』──からおおよその推察はできそうである。
 チェスターフィールドは18世紀前半から中葉にかけて活躍したイギリスの政治家で、本名はフィリップ・ドーマ・スタンホープ。第4代チェスターフィールド伯爵を継承したため、同書の著者名はフィリップ・チェスターフィールドと記載される。
 『わが息子よ、君はどう生きるか』は庶子フィリップに宛てた私信をフィリップの未亡人が出版社に売却してまとめられた由。文人として知られたチェスターフィールドだが、今日かれの名前はこの1冊で残っているというてよいだろう。
 日本では竹内均の訳で三笠書房から刊行されたものが、何度も改版・改装及び改題されていまも書店の棚に並ぶ。所蔵するのは1989年4月第63刷(初版は1988年10月)だが、これをわたくしは往復の電車のなかで読んだ記憶がいまでも鮮やかに残っている。それは火事で背表紙が煤けて染みこんでしまっているけれど、けっして処分することができない大事な蔵書である。
 このたび改めて読み返してみたが、昨年本ブログにて本書を紹介する際に付けた付箋だけに留まらず、新たに10枚近くの付箋を貼ることとなった。それだけ当時とはまた違った視点で読んでいるということなのだろう。
 チェスターフィールドは愛息フィリップに書き送った手紙のなかで、こんなことを説いて聞かせる。即ち、──
 尊大な態度と威厳ある態度を分けるのはなにか(P39)、金銭にまつわる小さな哲学とはなにか(P64)、如何に人間が矛盾に満ちた存在でその行為の理由を探るのは殆ど憶測の域を出ないこと(P70)、「立つ・歩く・坐る」という単純な行動を綺麗にできる人程他人の心を惹きつけること(P186-7)、どんなに身だしなみや教養などが優れていても礼儀作法に瑕疵があればそれらはまるで役に立たないこと(P196)、等々である。
 わたくしは子供が生まれたら金銭的な意味での財産を遺すつもりはまったくない。それは諍いの元になりこそすれ、兄弟姉妹の絆を強めるものにはなり得ぬからだ。それをわたくしは親戚間でたっぷり経験した。死して後に残す不相応な額の財産や墓の有無は諸悪の根源である。ねじけた性根の血縁がいるなら尚更だ。それこそ必要悪、この世に不要の存在といるだろう。
 金銭的な意味での財産でないなら、なにを遺すのか(なにを授けるか、というても良いか)。それは、礼儀作法と道徳と教育である。これがきちんと子供たちのなかに血となり肉となって、人生を踏み外すことなく歩いてくれるならば、それで親としてはじゅうぶんだ。
 実はチェスターフィールドも本書全体を通じて、同じことを息子へ伝えていることに気づいたのが、今回の読書の収穫と思う。ここに敢えてプラスするならば、身だしなみと姿勢を良くしなさい、健康に留意しなさい、悪い遊びに引っ掛からないようにしなさい、お金に賢くなりなさい、歴史に敬意を払いなさい、経験と歴史と交流から人生の機微を学びなさい、正しい判断力を身に付けなさい、というところか。
 2箇所、引用する。
「お金というのは、どんなにたくさんあっても、金銭哲学のようなものを持ち、かつ細心の注意を払って使わないと、必要最小限のものすらも買えなくなってしまうものなのだ。それとは反対に、たとえわずかのお金しかなくても、自分なりの金銭哲学を持ち、注意して使えば、最小限のものはこと足りる。」(P64)
「物腰の柔らかさと、意志の強さを兼ね備えることことこそ、軽蔑されることなく愛され、憎まれることなく尊敬の念を抱かれる唯一の方法であり、また、世の知恵者がこぞって身につけたがっている、威厳を身につける方法でもある。」(P210)
 なお、”The Project Gutenberg”にて公開されている『LETTERS TO HIS SON By the EARL OF CHESTERFIELD』では320通の書簡が現在閲読可能である。◆

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。